まだ四月に入ったばかりだというのに真夏日で、蝉でも鳴きだしそうな暑さだ。
大きな荷物はほぼ搬入し終わって残りは段ボールの整理だけ、とは言っても段ボールの数もそれ程多くはない。
「もうだからサイズちゃんと測ってからにしなさいよって言ったのに・・・」
「うっせーな。時間も予算もなかったんだよ」
「あと二十センチくらいの丈でしょう。何とかなんなかったの?」
「生憎、超絶ボンビー学生なんでな」
一瞬、室内がしんとする。
「それなら一人暮らしなんて・・・しなきゃ良いのに」
いつもは高い筈のあかねの声がワントーン低く聞こえた。
それでも懸命に背伸びしてカーテンレールに真新しいカーテンを引っ掛けているその後ろ姿を、乱馬はまじまじと眺める。
薄いカーディガンから伸びるしなやかな腕。透けるような素材の小花柄のスカートの裾から見える爪先立ちする素足。
寸足らずのカーテンのせいで差し込む日光が反射して、元から白いあかねのふくらはぎは眩しいほどだ。
乱馬が大学入学をきっかけに、一人暮らしを始めると皆に告げたのはつい最近の事だ。
当然賛成する者はなく、天道家に留まるように何度も説得された。
唯一、あかねだけは例外で沈黙していたのだけれど。
特に早雲には自分たちやあかねを捨てていくのかと、散々泣いて縋られたのだが、一度だけ二人きりでじっくりと話をした。
それ以来、早雲は天道家を出ると言った乱馬を引き留める事はしなかった。
早雲が反対しなくなった事で、乱馬の一人暮らしの計画は順調に進んで今に至る。
アパートを借りる為の資金稼ぎに割と前からバイトもかけもちしていたし、体育大学への推薦入学で奨学金も受け取れるので、自分一人の生活分を捻出すれば何とか生活は成り立ちそうだ。
新しい住処は築年数の古いアパートではあったが、一応リノベーションもされているし二階から見える風景が良かった。
「んもうっ、何ぼーっとしてんのよ乱馬!」
何とか一枚目のカーテンをとりつけたあかねがくるりと振り返り、ぼーっとしている乱馬を咎めるように睨む。
「誰の引っ越しだと思ってんの?」
視線が低かったせいか、自分に見惚れていたとは気が付かなかったようだ。
乱馬は相変わらず鈍いあかねに少しほっとしながら、へいへいと生返事をして、もうひとつのカーテンを受け取った。
「ちんちくりんが必死に爪先立ってカーテンつけてんのが面白かったんだよ」
「誰がちんちくりんよ!ばか!」
どすんと鋭い音で肩パンが来る。
結構奥に響いたけれど、痛い顔を見せるのは悔しいので、平然としながら残り半分のカーテンを取り付け始める。
難なくカーテンレールに届く乱馬の腕を見上げていたあかねがふと呟く。
「乱馬・・・また背伸びた?」
「ん?ああ、そういやこの間の身体測定で1.5センチ伸びてたな」
「そんなに?」
「フハハ、早乙女乱馬十八歳。絶賛成長期中」
「なにそれ、ばかみたい」
「うっせーな。そう言うお前はどうなんだよ?少しは成長したのか?」
「・・・・・・」
あかねは無言のまま、取り付けたばかりのカーテンの向こうに隠れてしまった。
「何してんだよ?おーい」
「・・・1ミリも伸びてないです」
悔しそうな呟きが、カーテンの向こうから聞こえた。
思わずかかかと豪快に笑ってしまう。
「どーりでちんちくりんに見えた訳だな」
きっと腹を立てたあかねが攻撃して来るだろう。
そう思って乱馬は身構えたが攻撃は一向にない。
あかねの分だけ膨らんだカーテンは動かなかった。
「あれ?あか・・・」
「乱馬は・・・」
「乱馬はずるい」
予想外の落ち込んだトーンと言葉に、乱馬は豪快に笑った事を後悔した。
それがあかねを傷つけたのだろうか。
「で、でもよ、お前は女なんだから別にそんな身長の事なんか気にしなくても」
「そうじゃなくて・・・身長の事だけで言ってない」
「じゃあなんの事でずるいって言ってんだ」
少し強い口調で言ってしまった。
こういう時、乱馬はつい苛立ってしまう事が多い。
あかねの言葉はたまに抽象的で理解しきれない。
「分からないなら・・・いいよもう」
投げやりな言い方をするあかねに更にムッとする。
「ずるいのはお前だろーが。なんでそうやってすぐおれとの会話投げ出すんだよ。そういうのお前の悪いとこだぞ」
言い返してくるかと思ったら、そのままあかねは沈黙してしまった。
怒ってしまったのだろうか。けれど自分も腹立たしいままで、謝る気分にはなれない。
ふと下を見ると、寸足らずのカーテンからあかねの白い素足が伸びている。
こちら側を向いて合わせるように揃う足のつま先の爪は、綺麗な桜色の花弁のようだ。
こんな風に、あかねのひとつひとつの部分が気になるようになったのはいつからだったろう。
最初は柔らかく微笑んだ笑顔に惹かれて、睨んでいても澄んでいる意志の強い目に惹かれて、さらりと溶けるような髪の滑らかさに惹かれて。
怒っている時だって、喧嘩で言い合いしている時だって、どんなに腹立たしく思っていても、あかねの一部分にふと見惚れてしまう事はこれまで何度もあった。というか時が経つにつれてその回数が増えて行っているような気がする。
そしてそれに気を取られるおかげで怒りのゲージは割と下がる。
ああ、男って本当にバカだよなと自分で思うのだが。
「・・・ごめんね。そうだね。乱馬の言う通りだね」
カーテン越しで少し落ち着いたトーンの声がした。
こんな時に素足に見惚れていた事を後ろめたく思い、そこから視線を外して乱馬はあかねの方に近づく。
「ちゃんと説明してくれよ。あかねはおれの何がずるいと思ってんだ?」
乱馬がカーテンをそっと捲ると、窓に背をもたれかけたあかねが俯いている。
「乱馬の身長が伸びた事、急に一人暮らしをするって決めた事、私に相談もしてくれなかった事」
「・・・それ全部?」
「まだある」
まだあんのかーい、と乱馬は内心で突っ込んだ。
「それならこの際全部言ってくれ。言ってくれた方がいい」
あかねはしばらく考えこむように俯いていたが、ふっと勢いをつけるように短く息を吐いて乱馬を見上げた。
「乱馬が家を出て一人暮らししたいって言ったのは、きっと何か理由があるからなんだよね」
「まあ、うん。なかったら出て行かねえよ」
「そう思ってたから、反対は出来なかった」
知ってるよ、と乱馬は思う。いつだってそうだった。
何かを本気で決めた時の乱馬を、あかねは引き留めたりはしない。
「だけど少しくらい・・・出て行く理由話してくれたっていいじゃない」
「・・・・・・」
出て行く理由。
そんなのを素直に言えるくらいなら、とっくに話している。
言えないから話せないのだ、分かれよ。
なーんて言ったら、喧嘩だな、うん。
けれど理由を順序だてて説明するのも、自分の本心をさらりと言うのも苦手な乱馬から、なかなか次の言葉は出なかった。
「あたしたちって・・・一応・・・許嫁なんだよね?」
一応ってなんだよ。と引っかかったが、その前の言葉に応えられずにいる乱馬は沈黙を破る事が出来ない。
「あたしってそんな頼りない?乱馬が相談も出来ないくらい頼りないの?」
あかねの瞳が淋しそうに伏せて白い肌に睫毛の影が落ちる。
心の奥の方で鋭角な何かが無防備な自分をつつくようで、おかしな痛みが走る。
「あ、あかね・・・あのな・・・」
何から話すなんて整理は全くされないままだったが、あかねの悲しい顔を見るのは嫌だ。
とりあえずで声をかけたが、とっ散らかった理由の数々がぐるぐると頭を駆け巡る。
「おれはあかねの事を・・・」
「だから私決めたの」
ぐるぐるしながら口走ろうとした事を遮って、あかねのはっきりした声が響いた。
「あたしも天道家を出る。それで一人暮らしする」
「・・・へ?」
さっきの淋しそうな顔はすっかり消え失せて、あかねは自分が名案を思い付いたと言わんばかりに瞳を輝かせていた。
「私も一人暮らしして、色々な経験を積んで、もっと乱馬が頼れるような人に・・・」
「だっ!だめだだめだめだだめだー!!そんなの絶対許さねえからな!!」
凄い勢いで叫んだ乱馬に、驚いた表情であかねは反論する。
「なんで?そんなのおかしくない?乱馬はいいのになんであたしはだめなの?」
「おれはいいんだよ!お前は絶対にだめだ!!」
「なんでよ!?そんなのあたしの自由じゃない!!」
「自由じゃねえ!!お前はおれの許嫁なんだから全然自由じゃねえぞ!!」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
乱馬が叫んだ事にぽかんと口を開いたままのあかね。
そのまましばらく無言で見合っていたが、あかねの表情が段々と怒りの色を滲ませてきた。
「乱馬は自由にやるんでしょう?なんで私だけ自由じゃないのよ!」
「お前に万が一の事があったらどうすんだよ!!天道家ならおじさんも親父もいるし、なんだかんだ安全だろうが!!」
「だから私だって格闘家よ!?自分の事くらい自分で・・・!」
そう言った瞬間の隙をついて手刀であかねの胸上と膝裏を叩き、身体のバランスを崩させる。
崩れていく身体を床に衝突させない様に二の腕で抱き抱えながら、床の上に組み敷いた。
「・・・・・・」
「・・・自分の事くらい自分でなんだって?」
無理やり手首を押さえつけて、勝ち誇るように至近距離であかねの顔を覗き込む。
驚きで見開いた瞳はインクを落としたガラスの様に澄んで乱馬を映している。
その下には淡い色の柔らかそうな唇。
一気に心臓が高鳴り始めて、顔から汗が吹き出してきた。
と、表情を歪めたあかねの大きな目がみるみるうちに潤んできて、一滴の涙が頬に零れた。
「あ・・・ご・・・」
謝ろうと力を抜いた瞬間に、左頬にするどい衝撃が走った。
ばちーん、と豪快な音が聞こえて、ああ、ビンタされたんだと思った時には頬が急激に熱を帯びてひりひりと痺れた。
「乱馬のばかっ!!」
乱馬の拘束から逃れたあかねは上体を起こすと、這うように窓際へ逃げる。
小さな背中が小刻みに震えている。
この言葉、何度言われて来ただろう。あかねが悲しんでいる時の言葉ほど、乱馬に刺さるものはない。
泣かせたくなんかないのに、どうして自分はいつも逆走してしまうんだろう。
「・・・あかね、ごめん」
「・・・・・・」
「ほんと・・・ごめん」
なかなか震えが止まらない小さな肩を見つめていた。
重たい沈黙が続く。
「大っ嫌い」でも「バカ」でもいい。
泣かずに怒ってくれた方がいっそ楽だ。
けれど期待通りには行かず、あかねは声も出さずに泣いていた。
これで本当に嫌われたらどうしよう。
ふと過ぎった不安が更に乱馬の上にある空気に重圧をかけた。
「・・・なんだか・・・乱馬じゃないみたい・・・」
「え・・・?何?」
ようやく口を開いたあかねの言葉が聞き取れずに、あたふたしながら床についた手で漕ぐように必死で近づく。
振り返ったあかねは泣き腫らした目をしていたが四足歩行の乱馬のその動きを見て、ぷっと吹き出した。
「・・・へんなの」
「うっせい」
バカにされたのは心外だったが笑ったあかねに少しほっとする。
あかねはカーテンごと窓ガラスに背を預けて自分の膝を両腕で抱え込んだ。
そのすぐ近くで、乱馬は胡坐をかいてあかねを見る。
「・・・乱馬はやっぱりずるい」
「何がだよ?」
「どんどん変わっていってる」
「へ?おれが?」
「そうだよ」
「・・・そうか?自分じゃ全然分からねえけど」
「前は喧嘩したってちゃんと謝ってくれなかったのに。今はちゃんと謝ってくれる」
うっとなる。確かに前は謝るという事がなかなか出来なかったような気がする。
というか今だって嫌なのだが、あかねに対してだけは以前より素直に謝るようになったかもしれない。
「格闘もどんどん強くなっていくし、背も高くなっていくし、それに・・・」
そこまで言ってあかねは急に頬を赤くさせて黙る。
「・・・それに?なんだよ?」
「それに・・・前より私の事触る」
「ばっ!!そっそんな事・・・!!」
慌てて否定しようとしたが、最近の自分の行動が次々と浮かんで来て言葉に詰まる。
確かに最近の自分はあかねに衝動的に触れようとしてしまう事がある。
例えばあかねの部屋で隣同士で並んで勉強をしていた時。
真剣に問題を見つめるその眼差しを自分の方に向けたいと思った瞬間に、あかねの頬を両手で包んで自分の方に向けていたり。
例えば茶の間であかねが美味しそうに苺を摘まんでいた時。
房を持つ指先から目を離せなくなったと思ったら、苺を摘まんだ瞬間のあかねの指ごと自分の方へぐいっと引き寄せてぱくりと食べてしまったり。
極めつけは朝起こしに来たあかねを、夢の続きのあかねと勘違いして抱きしめてしまった事だろう。
そしてあかねの驚いたような、戸惑ったような表情でいつも我に返る。
「そ、そそそんな事ない事はねえけど、あるけどまだ何もしてねえからなっ!!」
「・・・何威張ってるのよ」
「そ、そういうつもりじゃねえけど・・・」
「とにかく乱馬は前と変わっていってる。これから一人暮らしだって始めるし、どんどん大人になっていく。私だってちゃんと大人になりたいの。乱馬が頼れないような子どものままでは居たくないの」
「うん。でもあかねは一人暮らしは絶対にだめだ」
「・・・私の事、そんなに信用出来ない?」
「じゃなくて、おめーの事じゃなくて、これからあかねが出会う周りの男を信用してねえんだよ。男はなみーーーーーーーんな下心ってもんがあるんだぞ!!しっかり覚えとけ!!というかこれから先出会う男全員そうだと思ってろ!!お前は誰にでも気安い所があるからな、いやほんと気が気じゃ・・・」
あかねは唇を尖らせて乱馬を見る。
「だからあたしから自由を奪うの?」
「奪う?奪うつもりなんてねえよ。とゆうかお前・・・他の男とそういう事してえのか?」
怒った顔をしたあかねが、手元にあったトンカチを投げてきた。
しゅっと避けて、しっかり掴む。
「おいっ!殺す気か」
「ばか!したい訳ないでしょ!」
乱馬はその言葉にほっとしながら、二度目の攻撃を食らわないようにトンカチを壁の端まで床の上を滑らせた。
「あかねから自由を奪う気はねえけどお前は自由じゃない。おれの許嫁だからな」
「それ、どういう意味?」
「その変わりおれも自由じゃない。お前の許嫁だからな」
「・・・え?」
「おれは一人暮らしはするけど、お前と天道の姉ちゃんたちとお袋以外の女はここには入れねえよ」
「シャンプーやうっちゃんたちも?」
「それな。あいつらの事だから絶対乗り込んでくるだろうけど、ちゃんと追い出す」
「・・・ほんとにー?」
「心配ならお前が泊まりにくりゃいいだろ」
「・・・・・・え?」
驚いてまじまじと自分を見つめてくるあかねに、顔が赤くなるのを感じたがそれでも負けずにあかねを見つめ返す。
「お、お前が寄りかかってるそのカーテン、よく見てみろよ」
振り返ったあかねがそのさっきまで取り付けに苦労していたそのカーテンを眺めた。
「・・・あれ、これ・・・このカーテンの柄・・・」
「ようやく気が付いたか」
それは数ヶ月前にあかねと映画を観に行った帰りに立ち寄ったモールの家具屋で、あかねが気に入ったカーテンだった。
淡いグリーン地に濃いグリーンとホワイトの糸で刺繍された朴葉のような植物の柄。
「お、お前が気に入るかと思って買いに行ったんだけど・・・サイズで予算オーバーしてな」
「・・・だからなんだ」
寸足らずで床に届かないカーテンの理由を知ったあかねはその裾を愛しそうに撫でる。
「あと・・・窓の外見てみろよ」
乱馬に言われるままに立ち上がって、カーテンをしゃっと開いてみた。
アパートの下の庭はとても狭く苔むしていたが、いくつもの庭木が植えられていた。
その中でも二階のベランダを超える程のハナミズキの木は真っ白な花を満開に咲かせて目の前にあった。
そしてアパートの塀を隔てた向こうには、とても見慣れた光景が見えた。
ふたりがこの三年間、一緒に並んで歩いた川沿いのフェンス。
「わあ・・・」
あかねは思わずサッシを開いて、フェンスの方を見る様に背伸びをした。
「ここから見えるんだ」
「ああ、それにお前この白い花好きだろ?ハナミズの木?」
「もう!ハナミズキだってば」
「おう、そうだそれそれ」
「まったく・・・」
「あかねがこの風景好きだろうと思ったからここに決めた」
「・・・え?」
開いたサッシから緑をすり抜けてきた柔らかい風が、カーテンを揺らした。
ふわりと膨らんだカーテンの陰に隠れてしまって乱馬の表情が見えない。
「乱馬それどういう事・・・?」
乱馬からの返事はないまま、膨らんだカーテンがあかねの身体をふわりと包んできた。
気が付けば、後ろからカーテンごと乱馬に抱きしめられている。
「・・・乱馬?」
「あかね・・・」
「お、お前はいつでも此処に入れてやってもいいって言ってんだ!」
かちん、とする言い方だなとあかねは思う。
こういう時に、急に威張った様な言い方をする所は全く変わっていない。
けれどあかねの背中に密着しているカーテン越しの乱馬の心臓の音は、こちらが心配になる程早く大きく高鳴っている。
身を捩って乱馬の方へ振り返ろうとしたら自分を拘束していた両腕がぱっと離れて、突然解放された。
「あ、ごめ・・・やだった?」
急に不安そうにあかねの表情を伺う乱馬に、ふと出会った頃の面影が見えた。
ああ、乱馬だ。
自意識過剰な癖にちょっとした事ですぐ不安になる、乱馬だ。
不安から自分を離してしまった手に両手を伸ばす。
その大きな手を自分の手でくるんできゅっと力を込める。
「いつでも来ていいの?」
その言葉を聞いた瞬間の乱馬の顔の紅潮の仕方は尋常ではなかった。
首が不安定に上下を繰り返す玩具みたいに、乱馬は黙ったままぶんぶんと首を上下に振る。
かと思ったら、急にまたカーテンであかねをぐるりと包み込んであっと言う間にさっきの体勢に戻った。
なんでカーテンでぐるぐる?
なんでまた後ろから?
あかねの疑問は尽きないが、乱馬は乱馬なりの理由があるのだろう。
「ま、毎日でもいいぞ」
少し弾んだような言い方で乱馬が後ろから呟いた。
毎日は流石に無理、というかそんなに会うなら一人暮らししなくていいじゃない。とあかねは思う。
「あ、あとな・・・な・・・な、何時でもいい」
「え?何時でもって・・・どういう事?」
「・・・だ、だから夜からでも朝まででも居ていいって事だ!」
「それは・・・お泊りって・・・」
「だああああああーーーーーーーーー!!」
言葉を遮るように叫んだ乱馬の手に急に口を塞がれて、あかねは酸素を失う。
サッシの窓をバンッと素早く閉めて、息苦しさでもがくあかねに怒鳴る。
「窓開いてんだぞ!!誰かに聞こえたらどうすんだ!?」
真っ赤な顔で焦る乱馬に、その前に自分だって凄い事叫んでたじゃないとは言い返せない。
とにかく酸欠から逃げ出す為に乱馬の手を振り解こうと思い切りもがいた。
その瞬間、不吉な音が部屋に響いて二人はそのままの体勢で床に叩きつけられた。
衝撃でようやく乱馬の手から解放されたあかねは咳込みながら怒鳴る。
「殺す気かぁっ!ばかぁ!」
「ああー!!買いたてのカーテン・・・」
カーテンどころかカーテンレールごと外れて床に転がっている。
慌てて買ったばかりのカーテンの無事を確認する乱馬だが、一部分が少し割けて十センチほどの穴が開いていた。
もう、乱馬のせいなんだからね!!
と思いつつも明らかに意気消沈して肩を落としている乱馬が、少し可哀想になる。
あかねが気に入ったカーテンをわざわざモールまで買いに行ったのであろう姿を想像すると胸が痛んだ。
「ちょっとソーイングセット持ってくる。縫ってあげるわよ」
「え・・・お前が縫うの?」
「なによその不満そうな顔」
「・・・・・・」
それくらいなら自分で縫った方が全然ましじゃねえか、とは思ったがそれを口に出すのは止めた。
これ以上の被害を広げる様な事はなるべくなら避けたい。
「いちいち家に戻るのも大変だろ。また・・・今度でいいよ」
「大丈夫よ。往復したって三十分かからないくらいだもの」
そう言うとあかねは足早に玄関のドアに向かって行こうとしてふと立ち止まる。
「ねえ乱馬」
「ん?」
「明後日土曜日だから、夜に遊びに来てもいい?」
「え・・・ほ、ほんとか・・・?」
「でもお泊りとかしないから。そういう期待はしないで。ちゃんと送って」
一瞬で乱馬の頭をぐるぐると駆け巡った甘い妄想は一気にガラガラと崩れ出す。
「なーんで、あからさまにがっかりした顔してるの?乱馬のばか!えっち!」
「う、うるせー・・・・・・」
完全に見透かされて上手を取られている事に沸々と恥ずかしさがこみ上げてくる。
あかねはそんな事も気にする気配はなく、そそくさとサンダルを履いている。
ほんっとに、がわいぐねーーーーーーー!!!!!
「じゃあ乱馬、ちょっと行ってくるね」
「・・・おう」
素っ気ない返事をした乱馬は恨めしそうに、視線だけで部屋を出て行くあかねを見送った。
ばたん。
ドアの閉まる音がした途端に床に額を擦りつけて突っ伏す。
「・・・はーーーーーーーっ。なにしてんだおれ・・・」
一人暮らしを選んだ理由のひとつには、もう少しあかねとの関係を進展させるという目的もあった。
自制が効かなくなっている自分が、天道家であかねに何かしらしてしまうような事があれば、分かり易い自分たちの事だ。
あっさり家族にバレるに決まってる。その後の家庭内で弄り倒される場面を考えたら地獄だ。
もちろんそれだけが一人になる理由ではないのだが、いきなり躓いてしまった気がして落ち込んだ。
「どこが大人になってんだよ・・・ほんと全然じゃねえか」
「何が全然なの?」
声に驚いて玄関を見れば、ドアからひょっこりと顔を出しているあかね。
「!!・・・おまっ!!今の全部聞いてたのか!?」
「全部?ううん、全然てとこだけ。バック忘れちゃったからとってくれる?」
ふと部屋の隅を見れば、あかねの小さなショルダーバックがあった。
無言でそのショルダーバックを玄関に向かって軽く投げると、上手くキャッチしたあかねが乱馬の顔を見てにこりと笑った。
「明後日の夜、二人で引っ越しお祝いしようね」
その笑顔があまりにも柔らかくて、乱馬はどんよりとしていた自分の気分が一気に、晴れ渡って行くように思う。
「お、おう・・・」
「あと・・・そういう事はあの・・・明後日急に全部は無理だけど・・・」
「え・・・そういう事って」
「少しずつ、順番に、おいおい、ね」
「え・・・おいおい?・・・あか・・・」
顔を真っ赤にさせたあかねは、乱馬の問いには答えずにドアをばたんと閉めた。
軽くてリズミカルな少し癖のあるあかねの足音が遠ざかっていくのが聞こえる。
顔を赤くしたあかねが、可愛かった。滅茶苦茶可愛かった。
少しずつならいいのか?順番にならいいのか?おいおいなら・・・っておいおいって何だ?
乱馬はその晩、少しずつ、順番に、おいおい、という事についてぐるぐると思考を巡らせていた。
何とか補修されたカーテンにはあかねがウサギと自称する、どう見ても白熊の不器用なアップリケがついている。
けれどその縫い目は以前よりは少し、丁寧さを身に着けていた。
終わり
・あとがき・
最初に浮かんだのはカーテンぐるぐる拘束して抱きしめてちゅーっというですね。
よくある少女漫画の王道の俺様みたいなのを乱あで書きたいと思って書きだしたら、全っ然そっちの方向にいってくれませんでした。
全然強引で余裕のある乱馬が最後まで湧いて来ませんでしたwただそういうもどかしさが二人の好きな所でもあります。
でも乱あって一線超えたらすごいベッタベタになりそうですね。