雪蛍

町の灯りに反射する雪の粒は、車窓にぶつかると次々と弾けるように水滴に変わって、ガラスの向こうを滑り落ちてゆく。

 

「うわぁー、ヤバ。雪ヤバ。自転車ムリだこれ」

 

後ろに居たさゆりが、流れる景色を眺めていたあかねに寄りかかる様に窓に張り付く。

 

「だよねー・・・まさかこんな雪降るとか行くときは思わなかったもんね」

 

あかねの隣りに立つゆかは、ドア際の僅かな隙間で、スマホを弄りながら呟いている。

 

19時過ぎの電車は各停も快速も混雑する。

 

帰宅ラッシュと重なってしまうせいなのだが、今日は突然の大雪のせいで余計に混んでいるようだ。

 

12月に入ったばかりだというのに、都内でこんな大雪が降るなんて。

湿気を含んだ雪の粒は大きく、一駅を過ぎる毎に勢いを増しているように感じる。

 

夕暮れ前まで快晴だったなんて信じられないような光景だ。

 

その時、ゆかのスマホが振動する。

 

「わー、パパ車で駅前に迎えに来てくれるって!お友達も一緒にどうぞだって」

「きゃーっ、ゆかパパまじ神!イケダ!」

 

さゆりはあかねに寄りかかったまま、軽く跳ねてはしゃぐ。

 

ふとさゆりの後ろのサラリーマンの渋い顔に気が付き、あかねは静かにという意味で唇の前で人差し指を立てた。

 

けれどさゆりは全く悪びれる様子もなく、あかねの首にすがり付いて無言でにっと笑う。

さゆりのこういう無邪気さは好きだ。

 

 

「じゃあ二人ともあたしの最寄り駅で降りてね」

「おけ」

 

 

その時、あかねのコートのポケットから、小さく小鳥の鳴く音がした。

それが自分のLINEの通知音だと理解した瞬間に、あかねの顔はみるみる赤くなる。

 

さゆりに注意した癖に、自分はスマホをマナーモードにもしていなかった。

顔を真っ赤にしながら慌ててコートのポケットからスマホを取り出すあかねを、さゆりは少し勝ち誇った様に見て、頬っぺたをつついた。

 

「このドジ松め。顔赤いぞ~」

「はいさゆり、あかね気真面目なんだから。あんまイジめない」

 

うりうりとさゆりに頬っぺたを弄られながら、スマホの画面を見たあかねの表情が急激に変わる。

 

「あ・・・まずい」

「ん?」

「どした?」

 

「かすみお姉ちゃんから。乱馬が多分、駅に迎えに行ってると思うって」

 

「え、マジか」

「じゃ、あかねは自分の駅直行のがいいね」

 

「う、うん、そだね」

「乱馬くん来てるなら、それ持ってたらまずくない?」

 

「あ、そっか。どしよ」

「私預かるよ。あかねんち近いし」

 

慌てるあかねの両手の荷物を受け取って、さゆりとゆかは開いた乗車ドアから人波に押し流されながら、必死で二人に手を振るあかねを見送った。

 

「あかね・・・隠しきれると思う?」

「どだろ、乱馬くんて見てないようであかねの事しっかり見てるからなー」

 

「しっかりって言うか、こっそりガッツリだよね」

「だな。両思いじゃなかったら、あれ完全ストーカーだな」

 

二人は声を潜めて笑いながら、降車で少しだけ空いた電車に再び乗り込んだ。

 

急いで込み合う改札を抜けて、辺りを見回す。

大雪のせいで普段よりも更に賑やかで忙しない中で、乱馬の姿を懸命に探すけれどなかなか見当たらない。

 

・・・あれ、乱馬来てないのかな?

 

そう言えばかすみからのLINEには『多分』と書かれていた。

 

多分、てなんだろ?

来てない場合もあるって事かな?

 

どちらにしてもかすみか乱馬にLINEで訊くのが早い。

そう思ったあかねがコートのポケットからスマホを取り出した時だった。

 

ポコリと何かで軽く頭を叩かれた。

振り返ると、あかねを睨むように見下ろす乱馬がまだ閉じたままの傘を持って立っていた。

 

「乱馬・・・」

 

乱馬は無言で突き出すようにあかねに傘を差し出した。

 

「・・・ありがと」

 

お礼に対する返事はなく、あかねが傘を差しかけたのを見てぐいっと左手を掴まれる。

強引にあかねを引く手は冷えきっていた。

 

 

大粒の雪は視界を遮る程に容赦なく降り続く。

 

まだ昼間の太陽と車輪の熱を残したアスファルトには辛うじて積もっていないが、民家の屋根や塀にはどんどんと雪が積もり始めていた。

 

あかねの手を引いて、目の前を歩く乱馬の人民帽にもほんのり雪が積もっている。

 

・・・乱馬って、こんな背中大きかったっけ。

 

傘の隙間から見える乱馬の背中を懸命に追いながら、あかねは考える。

 

それとも怒ってるせいで威圧的に感じるだけだろうか。

しっかり掴まれた手を引く強さで、乱馬の怒りが伝わってきた。

 

それでも歩く速度はあかねの限度を超えない程に。

乱馬のそういう優しさに、気が付くようになったのはいつ頃からだったろう。

 

言葉は少しも優しくないのに、気が付けば包み込まれているような。

 

傘に積もった雪を車道に向かって振って、もう一度傘を戻そうとした時、黄色(だった筈)のボロボロのマフラーが乱馬の首に巻かれているのが見えた。

 

何だろう。

心の奥が締め付けられる。

 

油断したら、涙腺が緩みそうであかねは唇をきゅっと噛み締めた。

 

 

人の少ない通りに出ると、雪は雨よりずっと静かだ。

 

二人の足音と、僅かに聞こえる呼吸の音。

街灯に照らされた雪は、まるでそのものが発光しているようだった。

 

 

天道道場の門下に着いた時、乱馬はようやくあかねの手を離した。

 

二人はそこで、積もった雪を払う。

乱馬は無言のままだった。

 

どのタイミングで声をかけたらいいのか、あかねは傘の雪を払いながら迷っている。

と、払いきれなかった雪が風に吹かれて顔に零れた。

 

「・・・睫毛についてる」

 

ようやく乱馬の声が聞けたと思ったら、冷たい指先が睫毛の雪をそっと払う。

乱馬が払った雪が、顔を辿って唇に張り付く。

 

それを自分で払おうとしたら、遮るように手首を掴まれて、乱馬の唇があかねの唇にそっと触れた。

 

冷たくて柔らかい。

一瞬で溶けた雪は姿を消して、ただ触れただけの唇はゆっくりと離れる。

 

 

反射的に閉じていた目を開いた時、さっきまで優しく触れていた筈の乱馬の唇が、不満げに歪むのが見えた。

 

 

「・・・で?お前ほんとは今日誰と何処に居たんだ?」

「さゆりたちとパンケーキカフェ」

 

「それだけ?」

「それだけ・・・」

 

「へー、バカスカ大雪降ってんのにこんな時間になるまで呑気にパンケーキ食ってたのか?」

 

ああ、ダメだ。

完全に疑われている。

 

「パンケーキカフェと・・・カラオケ」

 

「何でカラオケ?ナンパか?」

「ナンパなんてされ・・・」

 

てないと言おうとして思い出す。

そう言えば、いかにもな男子大学生たちに声をかけられたっけ。

 

もちろん、相手になどしてはいない。

 

「たけどちゃんと断った」

 

乱馬は暫く黙ってあかねを見つめていたが、何を感じたのかきっぱりと断言した。

 

「ナンパを断ったのは本当。けど後は全部嘘だろ」

 

あかねの顔は一気に赤くなる。

 

「・・・図星か」

「・・・・・・」

 

「お前はさゆりたちとおれに言えないようなとこ行ってた訳?」

「そ、そんなことない!ただ今は・・・言いたくない」

 

乱馬は不満げな顔をしたままだったが、はーっと一度深くため息をつくと、声のトーンを変えた。

 

「分かった。もう深く訊かねえけど、言えるようになったら本当のこと話せよ」

 

こくりと素直に頷いたあかねを見て、少し安心したのか、乱馬は「あー寒っ、腹へった」と玄関まで小走りで向かって行った。

 

 

 

ゆかパパの車はワンボックスで、しっかりスタッドレスをはいているらしい。

ゆかとさゆりは並んで後部座席のシートに座っていた。

 

「流石ゆかパパ~!イケダ!イケダ!」

「あはは、ありがとう。でもイケダってなに?」

 

ゆかパパは少しふっくらしていて、人が良さそうに笑う。

 

「マジでイケてるダディです!」

「おい『マジで』どこ行った『マジで』は」

 

お調子者のさゆりに突っ込むゆかは、ふとあかねの紙袋を覗き込んでぷっと吹き出した。

 

「ねえ、さゆり見てよ。あかねこれ絶対買いすぎでしょ」

「あー、ほんとだ。何だこの量。マフラーどころかセーター作れるわ」

 

「色で散々迷ってたんだよね」

「それで結局どっちも買ったのか」

「おかげでこの時間ですよ」

「ホントだよねー。今度こそ上手く編めるといいけどなぁ」

 

「その為に夏から特訓してたんだから、去年のよりはちゃんと編めるんじゃない」

 

「乱馬くん喜んでくれるといいねえ」

「喜ばない訳ないでしょ」

「だな、アレはこっそりガッツリストーカーだもんな」

 

きゃははと甲高い笑い声が車内に響いた。

 

 

乱馬の唇が重なった瞬間に、閉じかけた瞳の向こうで玄関の灯りを反射した雪が、まるで蛍の様に見えた。

 

これで何度目のキスだろう。

 

もう思い出せないけれど、今日の光景とあの冷たい唇の切なさだけは覚えておこう。

 

窓の向こうでまだ降り続けている雪は、もうただのちぎれた綿のようで、蛍には見えなかった。

 

 

終わり

 


・あとがき・

二人が付き合おうと言い合って付き合う姿が個人的にはなかなか想像できなくて、ただもう言わなくてもわかってるよな的な感じで進んだ二人を書いてみたい、あと無言の描写をしてみたいという願望から生まれました。