平日の公園は小さな子どもたちの楽園だ。
楽しそうな笑い声や叫び声が、風のように
公園のあちこちを駆け抜けている。
乱馬の母のどかはそんな公園の中でも一際目立っていた。
爽やかな柄の和服をきっちりと着付けていて、軽装の他の母親たちとは明らかに異質だ。
けれどそんな事は一切気にならない様子で、柔らかな笑顔で二人の小さな子を見守っている。
砂場で小さく丸まるふたつの小さな背中はまるで御手玉のように愛らしい。
けれど急にすくっと立ち上がった自分の娘が、もう一人の子に向かって何かを投げつけたのを見て、のどかは慌てて立ち上がる。
「らんま!何してるの」
自分の娘を叱責しながら、もう一人の子を見ると、髪から顔を砂でベタベタにされて泣きじゃくっている。
「ああ、酷い。あかねちゃん、触ったらバイ菌入っちゃうからダメよ。すぐ洗いましょう」
母親から叱責されたらんまは、膨れっ面で文句を言う。
「だってよー!こいつさっきからおままごとばっーかするんだもん。ボール遊びのが楽しいのにさぁ。おれおままごと飽きた」
「それならちゃんとお口で言えばいいでしょう。砂団子をいきなり人のお顔に投げ付けるなんて、絶対にやってはいけません」
泣きじゃくるあかねの顔の砂を手のひらで避けて払うと、小さな手を引いて水呑場に向かう。
そこであかねの顔と髪に付着した砂を丁寧に洗い落として、ハンカチで拭く。
「ごめんねあかねちゃん。うちのらんまは女の子なのにちょっと乱暴な所があって、まるで男の子みたいなの」
格闘家の父親の強い影響を受けているらんまは、稽古をつけて貰っている事もあって、幼いながらに身体能力には長けていたが、その分だけ人を思いやる部分は少し粗雑で欠けている面がある。
健康的なのは喜ばしい事だが、同年代の他の女の子たちの中では明らかに浮いている面があった。
「よし、綺麗になった。あかねちゃんはお母さんに似て美人さんなお顔立ちだから、お水が滴ってもいい女ね」
泣きじゃくっていたあかねが、ぴたりと息を止める。
「わたし・・・おかあさんに似てる?」
「うん、特に笑った所がそっくり」
それは泣き止ませる為だけの手段ではなく、素直なのどかの感想だった。
三姉妹の中で長女のかすみと末っ子のあかねは、その母の柔らかい美しさを受け継いだ顔立ちをしている。
次女のなびきも綺麗に整った顔立ちではあるが、二人とは違う涼しげな目鼻立ちをしているので、父方の方に寄っているのかもしれない。
「あかね・・・もう泣かない。お母さんみたいになりたい」
その言葉にじんわりと来て、のどかはあかねの頭を撫でる。
「あかねちゃん、強い子ね。そういう所もお母さんにそっくり」
あかねは嬉しそうに、まだ泣いたばかりで赤く膨れている目のまま笑った。
らんまはそれを面白くなさそうに見ている。
まるで母親をあかねに取られてしまったような気分だ。
「じゃあお遊びを変えましょうか?二人に特別な事を教えてあげる」
『特別な事』という言葉が小さい二人を惹き付ける。
「えっ!なになに!?すげーかくとう技!?」
「まほう?おばちゃん魔法使い?」
「ブーッ、残念。どちらも不正解」
自分にすがるように見上げる二人を、のどかは悪戯っぽい笑顔で見下ろした。
「ちぇっ~、おれこんな女っぽい遊びやだよー」
「らんまは普段駆け回ってるんだから、少しは女の子らしい遊びも覚えなさい」
広い新緑公園の木陰の下にゴザを敷き、二人はのどかに教わりながら、シロツメクサの冠を編んでいた。
「こんなもんあむよりなー、とーちゃんとおけいこした方が楽しいしなー」
とブツブツ言いながらも、らんまはとても器用にのどかの手本と同じように手際よく編んでいく。
一方のあかねは、懸命にのどかの真似をしようとするが、どんどんと解れて花がちぎれてなかなか続きが編めない。
「はいはいはい!出来た!おれいちばーん!」
らんまはとても幼児とは思えない綺麗な冠を完成させると、すくっと立ち上がってそれを掲げた。
焦った顔でらんまを見上げるあかねを覗き込む。
「なーんだおまえ、すっげー下手くそ!おれいちばーん!おまえ、ビリ!」
からかわれたあかねは、みるみるうちに目に涙がたまりしゃくりあげて泣き出した。
「らんま、謝りなさい」
「やだよー、こいつ泣いてばっかの泣き虫なんだもん。おれ悪くないもん」
「らんまっ」
いつも自分に優しい筈ののどかが、あかねが居るときはあかねの方に気を使ってらんまに厳しい。
幼いらんまはそれが不満だった。
しかも日に日に、あかねが早乙女家にやって来る頻度は増えている。
親戚でも従姉妹でもない。
父親の古くからの友人である人の娘らしい。
らんまからしてみれば特に縁のないあかねが、こんなにも自分の家に頻繁に出入りをするのは不可解であり不気味でもあった。
その日もあかねは、らんまが保育園から帰ると家に居た。
「らんまちゃん、こんにちは」
あかねは台所に飛び込んできたらんまを見て、にこりと笑う。
「げ・・・また来たのか」
「これ、らんまっ」
のどかはらんまに厳しい目をして、あかねに笑いかける。
「今日のおやつはドーナツよ。二人とも手を洗って居間にいらっしゃい」
ちゃぶ台の上には二つのお皿と二つのグラス。
グラスにはオレンジジュース。
それぞれのお皿の上には、シンプルなリング状をしたアーモンド色のドーナツがそれぞれ置かれていた。
「じゃあおばさんお洗濯もの取り込んでくるから、二人ともお行儀よく食べてね」
そうして居間に二人きりで残される。
らんまはドーナツを一瞬の様に平らげてオレンジジュースを一気に飲み干した。
今日も保育園で散々男の子たちと取っ組み合いをしたり、探検ごっこをして活発に動いてきたのだ。
・・・一つじゃ全然、足りない。
ふと見れば隣のあかねは小さな口を一生懸命大きく開けて、ドーナツを齧ろうとしていた。
そして二人の目が合う。
「・・・これ欲しい?」
あかねはドーナツを食べずにもう一度お皿に置いた。
「え・・・くれんのか」
こくりと頷いたあかねは、恐々とらんまを覗き込むように見る。
「これあげたら・・・らんまちゃん、私と仲良くしてくれる?」
『仲良く』と『ドーナツ』
比重がどちらに傾いているかは明らかだった。
「いいよ。ドーナツくれたら仲良くしてやる」
「じゃあ、いいよ」
あかねは自分の前にあるお皿を両手で押すように、らんまの方へ滑らせる。
らんまは一気に上機嫌になり、大きく口を開いてそれを食べようとした。
その時、ぐうううと犬が唸るような音が隣で鳴る。
口を開いたまま音の方角を見ると、真っ赤な頬をしたあかねの顔。
「・・・今のおまえのお腹の音?」
「ちっ、ちがう・・・」
否定はしてもあかねの顔は真っ赤だ。
らんまは自分が食べようとしていたあかねのドーナツを見る。
そうしてしばらく考えて、らんまはそのドーナツを真ん中から真っ二つにすると、その片方をあかねの方に差し出した。
「半分こ」
「でも・・・仲良しのお約束だから」
「約束はちゃんと守ってやるよ」
「え、ほんと?」
「うん、約束」
その時見たあかねの笑顔に、幼いらんまは何かを大きく揺らされたような気がした。
世界がぐらりとした、と言ったらいいだろうか。
「・・・ありがとう」
「う、うん・・・」
何故だかドーナツが急に飲み込みづらくなる。
なんだこれ。変なの。
けれど何だかポカポカと温かい。
「庭で落書きごっこする?」
らんまが聞くと、ドーナツを頬張って片方の頬っぺたが膨らんだあかねが笑顔で頷いた。
庭で洗濯物を取り込み終えたのどかが、縁側から居間に上がろうとするのと入れ違いに、らんまとあかねが楽しそうに庭に飛び出してきた。
らんまは父のサンダルを履いて、代わりに自分のサンダルをあかねに渡してあげている。
「どうやって落書きするの?」
「んとね!この木拾ってね、地面に描くんだっ」
らんまは言いながら、適当な小枝を拾ってそれを地面に突き立てて線を描く。
「わぁぁ、すごい、わたしもする!」
らんまのサンダルを履いたあかねが駆け寄ると、らんまは自分の使っていた枝を手渡した。
一体いつの間に、彼女たちに変化を起こす出来事があったのだろう。
のどかはその瞬間を見逃してしまった事を少し残念に思いながら、子どもたちの変化を喜ばしく思った。
チャイムの音が聴こえて、らんまは意識を戻す。
とても懐かしい夢を見ていた様な気がするが、意識が戻って来るのと引き替えに忘れてしまった。
でもきっと、あかねの夢だ。
その時、下から声がした。
「らんま」
寝そべっていた大振りの枝の上で体勢を変えると、下を覗き込む。
「よーやく見つけた。授業サボってお昼近くまで寝てるなんて。進級出来なくてもいいの?」
長い髪をさらさらと風に流されるあかねは、木の上で寝そべるらんまを呆れた顔で見上げている。
「あはは、そしたら一年分また楽出来ていいかもな。だから今日は寝かせてくれ」
「・・・らんまは私と一緒に進級出来なくてもいいの?」
・・・それはやだ。
「よっ!とっ」
らんまは両腕の力だけで自分を持ち上げてから、反動をつけて地面にしゃがむように着地する。
すっと立ったら予想外に着地点が近かったのか、あかねの顔が近くにあった。
「先生に一緒に謝ってあげるから、戻ろう」
高い日差しの下で照らされるあかねの肌はいっそう白い。
澄んだ硝子玉のような目は黒目勝ちで、彼女の意思の強さを表している。
さらさらと風に流れる長い黒髪の行き先に見とれる。
16才のあかねは、小さな頃の幼さも残しながら、美しくなっていた。
こちらが身動きする事を忘れてしまうくらいに。
「・・・今日は髪、束ねただけなのか?」
「あ、うん。今朝かすみお姉ちゃん忙しそうだったし、それに」
「ん?」
「らんまも朝からずーっと居なかったでしょう?」
「あ・・・そいえばそだったな」
言いながららんまは、制服のスカートのポケットを探る。
「これ、お前の写真のネガ」
手のひらの上に、コロンと三つのフィルムのネガを転がされる。
「・・・え?」
「お前の写真バッシャバシャ撮るキモい男子校のヤツ居ただろ。そいつ追っかけ回して隣町までちょっとな」
直ぐ近くであかねの瞬きを見て、らんまはどぎまぎする。
「らんま・・・その為に?サボってまで?」
「だっ、だっておめーすげー嫌がってたじゃん」
「私の為に・・・」
あかねはらんまの首にすがりつくと、ぎゅうっと腕に力を込める。
柔らかいあかねの身体が密着すると、ふわふわと浮いているような気分だ。
「お、おい・・・誰かに見られたら」
「なんで?平気だよ、女同士だもん」
おれは平気じゃない。
「らんま・・・大好き」
全然平気じゃないし、その言葉を聞く為だけに生きてる気がするくらい、嬉しい。
「あの、きょ、今日は・・・髪編まなくていいのか?」
あかねにもっと触れたい。
指先でも、頬っぺたでも、毛先でもいいから。
「うん。それより授業に戻ろう」
「けど・・・今日東風先生に本、返しに行くんだろ・・・」
「・・・いいよ。このまま行く」
静かに言ってあかねが離れる。
その少し淋しそうな目を見た時、耐えるようにらんまは地面をしっかり踏み締めた。
「じゃあ昼休みに編んでやるよ。行こーぜ」
らんまはあかねを促すように肩を抱いて教室の方へ向かう。
出来るだけ、ただの友達のつもりで。
「え、でも」
「代わりに今日の昼パンお前の奢りな」
「そー来たか」
急に軽口風になったあかねにふふっと笑う。
そうして見失った昼間の太陽を探すように空を見た。
どうしておれ、男に生まれて来なかったんだろう。
本当は何も全然平気じゃない。
ずっと切ない。
終わり。
・あとがき・
このシリーズを書こうと思った経緯はpixivの方でも書いて居るので詳しくはそちらでご覧いただけたらと思うのですが、設定の原案はTwitterで仲良くさせて頂いている方がツイされている「理想のらんあ」より、ご本人の承諾を得て拝借しました。
自分はもっと原作寄りの中でそういう感じの話を書こうと思っていたのですが、その方の設定の方が書くのが遥かに楽しそうだったので。完成……するまで私活動できているだろうか(急にいなくなる人)。