シロツメクサの姫

 

「わぁ、らんま、ひこうき雲だよ」

「んー?」

「すごい綺麗なひこうき雲、一直線」

 

 

らんまの前で大人しく背中を向けて座っていたあかねは、急に右腕を上げて上を向いた。

 

「・・・ってこら、動くな。今後ろ編んでるとこなんだぞ」

 

あかねと同じ高さの椅子に座りながら後ろの髪を編んでいたらんまは、慌ててあかねの動きに合わせて編んでいた髪がほどけないように抑える。

 

「あ、ごめん。忘れてた」

 

あかねは慌てて顔と右腕を戻す。

 

人気のない屋上は、時々空までつんざく程の高く賑やかな笑い声以外は遠くに聞こえた。

別校舎の立ち入り禁止の屋上の入り方を、最初に見つけたのはらんまだった。

 

そこに背もたれが壊れてなくなった椅子を二つ美術室からこっそり持ち込んで、あかねの髪を編む事は日常化している。

 

不器用なあかねが髪を伸ばし始めてからその長い髪をアレンジする役目は、ほぼらんまだった。

 

あかねの姉のかすみの手が空いていれば、たまに編んでもらって来ることもあるが、あの広い家で家事をこなすかすみにそんな余裕はなかなかない。

 

 

「ねえ、らんま」

「んー?あとちょっとで終わるからもう少し昼飯我慢な」

 

「もう、違うわよ」

「なんだよ?」

 

「昔もひこうき雲・・・よく一緒に見たよね」

 

らんまは編み終えた髪をカチューシャのようにして、あかねの綺麗なうなじがより美しくみえるようにアップにすると、後れ毛が出ないようにピン止めする。

 

少し青白く感じるほどの頼りない細いうなじは、あかねそのものとよく似ていた。

見た目の快活さとはまるで反対のもう一人の不安げな彼女に。

 

「・・・・・・」

 

「ねえちょっとらんま?忘れちゃったの?」

 

そんな訳はない。

きっと自分の方があかねよりも鮮明に覚えていることは多い。

 

「覚えてるよ」

「あの頃のらんま、私によくシロツメクサの冠編んでくれたね」

 

「まあ、おれのが上手だったからな。おめーみたいに不器用じゃねえし」

 

背中越しでもあかねがむくれているのがわかる。

 

「お?姫、お怒りになられましたか?」

「やめてよ、それ。橘先輩が本気にしちゃって大変だったんだから」

 

「本気って?」

 

最後のピンを止め終えて、終わったという合図の代わりにあかねの肩を叩く。

振り返ったあかねは、とても澄んだ目でらんまを見た。

 

「私とらんまが特別な関係なんじゃないかって」

「まあ、幼馴染だしなー。特別・・・なのか?」

 

「そういう意味じゃなくて・・・私たちが恋愛関係なんじゃないかって」

 

 

相手に意識のない分だけ、ふいに投下される言葉は自分の心に大きな波紋を広げる。

 

そこで表情を変えないように、は到底出来なくてらんまは仰け反って大笑いした。

 

 

「おれとあかねが!?恋愛!?」

「・・・ちょっと、笑いすぎ・・・」

 

「橘先輩大丈夫かよー。おれら女同士だぜー。いくらおれが男っぽくてもさあ」

「そうなんだけど。うち女子高だし、らんま昔から女の子たちにもモテてるでしょう?」

 

確かに同性であるにも関わらず、同じ学校の先輩や同級生たちから手紙を渡されたり告白をされる事はよくあった。

 

それは共学であった中学の頃から頻繁にあった事ではあるので、もうすっかり慣れてはいたが、男性からの告白と違って女性からの告白は断るにも気を遣う。

その後の関係に響く事もあるからだ。

 

とは言え全て「恋愛に興味がない」という言葉で通してきたらんまだ。

格闘に熱中している分だけ、それを疑う者も殆ど居なかった。

 

「殆ど」という所が微妙なラインではあるのだが。

 

 

「らんちゃーん、あかねちゃーん」

 

その時屋上と階段を塞ぐ鉄柵を軽く乗り越えて、右京が駆け込んでくる。

 

「お、もう一人の女子モテ女子が来たぞ」

「なんやねんそれ」

「や、なんでもねえ」

 

「右京とらんまのおかげで私はみんなの嫉妬、一斉に浴びてるよ」

 

「ん?誰かおめーのこといじめたりしてんのか?それならおれが言ってやるぞ」

「あ、違う違う『羨ましいなー!あんなイケメン女子二人に守られて』ってからかわれてるだけよ。いじめじゃない」

 

「それは喜んでええとこなんか。複雑やな」

「だな。むしろおれらが怒っていいんじゃねえか」

 

「右京は背が高いし、らんまは格闘が強いし、二人とも綺麗な顔立ちしてるし。凛としてるから、格好良く見えるんでしょう」

 

そこまできっぱり言い切られると悪い気はしない。

そうか?と首を傾げつつニヤける二人。

 

「ところで右京、何か用事あったんじゃないの?」

「あ、そやった。あかねちゃん、放課後緊急ホームルームあるとかで、クラス委員の事ひなちゃん先生が探してたで」

 

「そなんだ。行かなくちゃ。教えてくれてありがとう」

「がんばってやー」

「ちょ、待て」

 

らんまはあかねをふわっと両腕で抱き上げると、軽い身のこなしで柵を飛び越える。

そうして階段の上にあかねを無事に着地させた。

 

「あ、らんま、これ」

「ん?」

「お礼のパン、今日はチョココロネ。いつもありがとう」

「お、サンキュー」

 

「じゃあ、また後でね」

 

階段をせわしなく下りていくあかねの後ろ姿を見送って、らんまは再び屋上への柵を飛び越える。

 

右京は空いた椅子に座ってパックのアップルジュースをストローで飲んでいる。

その隣の椅子に腰を下ろして、らんまはビニール袋からチョココロネを取り出した。

 

「あんだけあかねちゃんのこと甘やかしとったら、そら疑われるわ」

 

「あ、甘やかすって?疑われるって何だよ?」

「らんちゃんがあかねちゃんのこと姫扱いしてるって、校内中の噂やで」

 

「べっ、別にそんなつもりはねーけど」

 

右京はストローをくわえたまま、ちろりとらんまの顔を見る。

 

「らんちゃんは昔っから分かりやすいからなー」

「・・・何の話だ」

 

「うちは別にええねんで。三人でおれば少しは誤魔化せるやろ。うちらは幼馴染やし、知らん女の子にベタつかれるより二人とおった方が全然楽やしな」

 

らんまは居心地の悪さを我慢しながら、右京の言葉を聞いている。

 

「そもそもうちは心に決めた男性がおるから。噂も気にならんし」

「ああ、響?だっけ」

 

「そそ。昨日もデートの約束してんけどおらんかったわ。あと一週間はかかりそうやな」

「はは・・・すげー彼氏だな」

 

らんまはちらりと見たことのあるその男子の姿を思い出していた。

右京からはとんでもない方向音痴だと聞かされている。

 

 

「まあうちの事はええねんけど。三人の事で色々言われても」

「え、ちょっと待ってくれ。おれら三人で一体何て言われてんだ?」

 

「うちとらんちゃんがあかねちゃん巡ってバッチバチの取り合いしてるんやて」

 

「な、なんだそれは」

 

「そんでうちはスパイス騎士(ナイト)、らんちゃんはクリーム騎士(ナイト)って呼ばれてんねん」

「・・・意味がさっぱり分からんのだが」

 

「うちがあかねちゃんの天然に突っ込んでるとこがスパイシーに見えるらしいで。逆にらんちゃんはあかねちゃんの事となるとめっちゃクリーミーな態度って事やろ」

 

らんまはただ右京の話に呆気に取られているばかりだ。

 

「それでうちとらんちゃんがな、お姫様のあかねちゃん巡って争いしてるっていう妄想の噂があんねん」

「妄想かよ。なら問題ねーだろ」

「それが・・・そうでもなさそうやで」

 

急に声のトーンを落として右京が呟いた。

 

「あかねちゃん、ほんまに嫌がらせ受けてると思う。中には本気にしてる奴もおんねん」

 

「誰からだ?」

「知ってても言いたない」

「何でだよっ」

 

らんまの苛立ちを悟っているのかまったく動じない様子で、右京は空になったパックを弄んでいる。

 

「らんちゃんが表からそこ潰しに行ったら、その嫌がらせ余計に悪化するで」

 

「・・・じゃあどうしろってんだよ。直接潰しにも行けねえ、誤解させたままじゃ、あかねがやられっぱなしになる。あいつ何にも悪いことしてねえのに」

 

「・・・そもそもほんまに誤解なんか」

「・・・え?」

 

「らんちゃんはそれ、誤解と言い切ってええんか」

 

 

自分は今どんな顔をしているだろう。

真っ直ぐ自分を見る右京に、今打ち明けてしまえば楽なのか。

 

 

そんな事が頭を巡ってから、らんまは言った。

 

「誤解だよ。あかねはおれの幼馴染で親友だ」

 

 

「・・・そうか。なら誤解を受けるような態度は少し控えた方がええかもしれんな」

 

「誤解受けるってどんなだ。おれあかねと一緒に居過ぎて正直よくわかんねえ」

「らんちゃんが髪編んでることだって既にかなり有名や。あかねちゃんの髪しかやらんから余計やで」

 

それを訝しく思われたくないからわざわざ人気のない屋上でしていたのだが、どうやら自分たちは思ったよりも遥かに、有名人になってしまっているらしい。

 

「・・・後は?どんな事に気を付けたらいいんだ?」

 

「そやなあ・・・あかねちゃんの事姫扱いするの出来るだけ校内では控えた方がええかもな」

 

「・・・・・・」

 

「・・・らんちゃん、うちもこんなことあんま言いたなかったけど。あかねちゃんこういう事絶対らんちゃんに言わんやろし・・・そんな顔せんといて」

 

そんな顔ってどんな顔だ?

なんて訊けない。鏡がなくても分かる。

 

きっと情けないくらい、悲しい顔をしてるんだ。

 

「うちそろそろ教室戻るわ」

「・・・うん」

 

「らんちゃん、なるべくうちも見張っとくから。あんま悩まんといてな」

 

ぱんっと豪快に背中を叩かれて、一歩だけ足が前に出る。

 

「とにかくどうなっても、うちは二人の味方や」

「・・・うん、サンキューな。うっちゃん」

 

ほなな、と少し明るいトーンに声を戻して右京は教室に戻って行った。

 

 

一人取り残されたらんまは、ただ茫然と空を切り裂くように真っ直ぐに突き進む、ひこうき雲を眺めていた。

 

嘘でも偽りでもない。

らんまにとってあかねは可愛い唯一のお姫様だった。

 

とてもとても小さな頃から。

 

半分このドーナツをきっかけにして、らんまとあかねの距離は一気に縮まった。

それ以来、あかねが家に来る日はいつも色んなことをして二人で遊んだ。

 

あかねは基本的に女の子らしい遊びを好んではいたが、らんまが興味を持つような豪快な遊びにも興味を示してくれる。

 

カエルや虫を捕まえて遊ぶのも楽しそうだったし、クワガタを持たせてあげた時には「すごーい!強そう!」と喜んでくれた。

 

大嫌いだったままごとも、あかねとやるうちに楽しくなってきた。

そうしているうちにいつの間にか、らんまの喜びは自分が楽しむ事ではなくて、あかねを楽しませる事に変化しつつあった。

 

あかねが笑うと自分も嬉しい。

ずっと同年代の女の子と馴染めなかったらんまの唯一の女の子のお友達。

 

「なー、かーちゃん、絵本読んで」

「・・・え!」

 

わが子がそんな事を言い出すとは思いもしなかったのどかは、一瞬固まった。

 

「なんでびっくりすんの」

「だってらんま・・・前まで絵本なんて嫌いだって」

「きらいだけどこの本は別」

 

そう言ってらんまが差し出したのは童話の「白雪姫」だった。

のどかはますます混乱する。

 

「らんまにもとうとう女の子っぽさが芽生えてきたのかな?」

「この絵本の女の子、なんだかあかねに似てる」

「え・・・?」

 

そうして表紙を見ると、そこには黒髪を結い上げた美しい横顔の白雪姫の顔。

確かにどことなくあかねの雰囲気を持つような柔らかい絵だった。

 

絵本を読んでとせがむらんまの理由が、少女らしくなかった事に少し複雑ではあったが、同年代の女の子を拒絶してきたらんまが、初めて出来た女の子の友達を大事に思っているのは好ましい。

 

「らんまはあかねちゃんが本当に好きなのね」

 

らんまは少し照れ臭そうにして、こくりと頷く。

 

「あいつとあそぶとなかなか面白れぇんだ」

 

なかなかなどと、幼児らしくない言葉にのどかは吹き出しそうになってそれに耐えるのに苦労した。

白雪姫の絵本をらんまは真剣に眺めて母の語り最後までしっかり聞いていた。

 

「そうして王子と白雪姫はいつまでも幸せに暮らしました、おしまい」

 

「・・・なあかーちゃん」

「ん?」

「こんどいつあかねは遊びに来る?」

 

「明日来るわよ」

 

それを聞いたらんまはよほど嬉しかったのか、怒ってもいないのに頬っぺたを膨らませて顔を真っ赤にして、布団の上で両脚をばたつかせた。

 

「明日か―!早く明日こーいっ!」

「ふふふ、ならちゃんとおねんねしないとね」

 

のどかにそう言われたらんまは、タオルケットを頭まですっぽりとかぶって宣言する。

 

「かーちゃん、おやすみなさいっ」

「おやすみ、らんま」

 

素直な娘を微笑ましく思いながら、のどかは寝室の電気を消した。

 

 

暗くなったタオルケットの中で、らんまは目を開けたまま色々考えている。

 

やはりあかねは白雪姫に似ている。

白くて黒い髪が美しくて愛らしい。

 

明日あかねに会ったら「白雪姫ごっこ」をしようと言ってみよう。

あかねが白雪姫の役で、自分は王子様の役だ。

きっと楽しい。絶対に楽しい。

 

それから、あかねが喜ぶものをなんかあげたい。

なにがいいだろう?

 

クワガタ・・・じゃなくてカブトムシはどうだろう?

あかねはまだそれを見たことがないと言っていた。

 

きっとあのおっきな目をまんまるにして「すごーい!」と叫ぶに違いない。

 

早く、早く、早く、早く。

かみさま早く明日にしてくれー!!

 

らんまの願いが通じたのかどうか。明日はようやくやってきた。

 

 

明るくなり始めた頃にすっかり目を覚ましてしまったらんまは、まだ明けきらない空の明るさを頼りにこっそり家を抜け出した。

 

手には虫かごと虫取り網。

父から数日前にカブトムシの取り方は教わっていた。

教えて貰ったクヌギの幹に向かって走る。

 

朝からとてもわくわくしていた。

早くあかねが驚く顔が、喜ぶ顔が見たい。

 

らんまはクヌギの幹にいたカブトムシを難なく捕まえて虫かごに大事にしまうと、家に向かって走っていく。

既に空は明るくなり、新しい日の太陽が上り始めようとしていた。

 

朝日に照らされた玄関をがらりと音を立てて開けると、らんまはサンダルを放り出すようにして居間に向かう。

 

「ただいま!!かーちゃん!ほら見て!カブトムシ・・・!」

 

らんまの母は、黒く重たい受話器を持ったままらんまに背を向けている。

 

「ねー!見てかーちゃん!!でっかいカブトムシ!あかね喜ぶかな!?」

 

虫かごを掲げて、母の背中に問いかける。

けれど受話器を置いた母は、なかなか振り返らない。

 

「・・・らんま。今日はあかねちゃん、これなくなっちゃた」

「えー!?なんで!?せっかくカブトムシ・・・!」

 

 

「あかねちゃんのお母さんが、亡くなったのよ」

 

 

 

振り返った母は、目を真っ赤に潤ませている。

らんまは初めて見た母の涙に戸惑った。

 

 

亡くなるってなんだろう。

なくしもの。

消えるってこと?

 

とにかくこんなにもかーちゃんに悲しい顔をさせることなんだ。

 

だとしたらあかねは・・・?

 

大好きな母ちゃんがなくなる。

もしそれが消えるということなら――

 

小さならんまは、これがただの夢であればいいと強く願った。

 

 

 

 

終わり


・あとがき・

ほんと今更ですが、らんまには百合要素もあるんだねという事を思い知らされた最近です。

元から百合に対して興味も否定も全くない方ではあったのですが、自分が書く事があるとは……本当に素直に驚いてます。