夏風邪・前編

 

普段が賑やかなだけに、人気のない天道家の夜は静かすぎて怖いくらいだ。

 

「あかね、私本当に残らなくていいの?」

 

かすみは申し訳なさそうに、あかねの額の上のタオルを冷たいものに替えてくれる。

 

「おば様も法事で居ないし、病気のあかね1人にするのは・・・」

「病気っておねーちゃん、ただの風邪だよ」

 

あかねはふふふ、とかすみに笑いかける。

 

「こんなの少し寝ればすぐに治る」

「だといいけど・・・」

「もういいから、早くお祭り行かないと花火終わっちゃうよ」

 

長女のかすみは姉でありながら、時々母のようにも見えた。

特に末妹の自分が体調不良だと知れば、平気で予定を変更して自分を犠牲にしようとする面がある。

 

「おねーちゃん、私もう子どもじゃないんだから。静かな方がゆっくり眠れていいくらい」

「・・・そう?そうね」

「そうだよ」

 

優しい手が綺麗に折り畳んだ絞りタオルをあかねの額にあてる。

 

骨に響くくらい冷えたタオルは、熱ぽく鈍い身体の痛みを和らげてくれた。

あかねは目を閉じる。

 

「・・・薬効いてきたみたいだから少し寝るね。行ってらっしゃい」

「ちゃんと寝てね。喉乾いたら枕元に水分あるから」

 

「うんうん、分かった。心配しないで。大丈夫だから」

 

「じゃあ・・・行ってくるわね」

 

かすみが部屋を出ていく音がして、あかねは薄目を開く。

いつも何とも思わない天井の模様が、少し歪んでいるような違和感のある景色。

 

早雲は宵祭りの町内会の役員で、なびきはいいバイトが入ったと留守にしていたし、祭り好きな早乙女親子と八宝斎は夕方前には家から気配を消していた。

 

・・・ああ、金魚すくい。

今度こそは乱馬に勝つんだと思ってたのに。

 

・・・打ち上げ花火。

乱馬と一緒に見たかったなあ。

 

熱に浮かされる中で素直な気持ちがくっきりとすると、妙に淋しくなって涙が溢れそうになる。

 

「おめーみたいな頑丈しか取り柄のねえ女でも、風邪はひくんだな」

 

居間で熱を測ったあかねの体温計を覗き込んで、女の姿の乱馬が憎まれ口を叩いた。

 

ビタンっと平手で頭を叩いて、氷枕や薬などを準備する為、ゆったりと慌て始めたかすみの所へ向かう。

 

「おねーちゃん、いいよ自分でやる」

「いいからあかね、早くパジャマに着替えなさい。毛布しまっちゃってるから出してくるわね」

 

「大丈夫よ、これくらい」

「そーだよ、かすみさん。あかねみてーな頑丈女が夏風邪くらいで弱るわけねーよ」

 

みしりっと床に乱馬を叩きつける。

 

「・・・ほら、全然平気だろ」

「乱馬くん」

 

氷枕を洗うかすみが振り返る。

 

「あかねは頑丈で凶暴だけど、昔から風邪ひきやすいのよ」

 

「・・・・・・」

「おねーちゃん、それ全くフォローになってないわよ」

 

廊下の方から突っ込んだなびきは、乱馬のお下げをぐいっと引っ張った。

 

「いででで!をい!」

「ホラ、さっさと浴衣の着付けするわよ。時間ないんだから」

「・・・え?」

 

きょとんとするあかねに、なびきはふうっと少し大袈裟にため息をつく。

 

「もう乱馬くんたら、女の子の姿でお祭り行きたいらしいの」

「わざわざ何で?」

 

疑うような目を向けると、乱馬は少し言いにくそうに口を変に湾曲したり、伸ばしたりしていた。

 

「もちろん逆ナンに決まってんでしょーが」

「は・・・?」

「逆ナンパで、屋台中のあれこれ貢いでもらうのよ。ね、乱馬くん」

 

「な、なびき!余計なこと言うな!」

「えええ、そんなことの為に女の子の姿でお祭り行くの?」

 

熱があるのに思い切り冷ややかな目で乱馬を見る。

 

「んだよっ、わりーかよ!」

「じゃ、ついでだからなびきちゃん、2階の和室の押し入れから毛布出しといてくれる?」

 

「了解、乱馬くんにやらせるわ」

 

二人はそのまま、素っ気なく2階に向かってしまった。

 

「・・・乱馬くん、この頃すっかり女の子の姿を楽しんでるわねえ」

 

少しはプライド持ちなさいよ!と普段の自分なら怒鳴っていた所だが、今日はそんな気分にもなれず、怒りか風邪か自分の身体の熱っぽさが増したような気がした。

 

 

誰もいない空っぽの家の中で、どれくらい微睡んでいたのだろう。

頬に急に冷たい何かが当たる感触がして、本能的に不可解な気配を感じたあかねは、ばちりと目を開く。

 

目の前にムンクの叫びの様な顔。

 

何かを切り裂くような悲鳴が、静かな天道家に鳴り響いた。

 

「ま、まて!!あかね!!おれだ!」

 

必死の力でベッドから這い出て竹刀を手繰り寄せて構えたあかねに向かってブンブンとかざした手を上下にして、床で腰を抜かしていたのは向日葵の柄の藍色の浴衣を着た乱馬だった。

 

そこでようやくそれがムンクの叫びではなく、それっぽい顔のお面であった事、さっき自分の頬に当たった冷たいものが水風船だったと理解する。

 

「あんたどういうつもりよ・・・!?」

「や、これ見たらお前驚いて熱下がるんじゃねえかと」

 

お面のゴムをぐいーんと引っ張る乱馬。

 

「・・・しゃっくり止めるのと一緒にするなぁぁ・・・!!」

 

怒りが頂点になり竹刀を振り上げたが、その瞬間にふらりと目眩がして足元がぐらついた。

 

「お、おいっ」

 

床に身体を打つ前に、乱馬に抱き止められて転倒は逃れた。

 

「大丈夫か」

 

誰のせいだと思ってんの!!

女の癖して何で反射的に軽々と片手で私を抱き止められるの?

 

怒りと動揺が同時に来てどちらに寄ったらいいのか分からない。

 

「わり・・・ちょっとやり過ぎた」

「・・・全然ちょっとじゃない」

 

「ベッド運ぶぞ」

「・・・・・・」

 

軽々と両腕で抱いて、乱馬はゆっくりとベッドにあかねを寝かせると、身体の上に毛布をかける。

 

「・・・まだ熱ありそうだな」

「なんで分かるの?」

「・・・や、あの・・・身体熱かった・・・から」

 

顔を赤らめる乱馬をぼんやりと見る。

 

「今・・・何時?」

「今か・・・18時過ぎ」

 

「え?まだそんな時間?」

 

予想外に早い時間で驚いた。

かすみが出ていってから、三十分も経っていない。

 

「お祭りは?」

「・・・もう堪能したからいい」

 

げっそりした顔の乱馬をよく見れば、お好み焼きのヘラやら、ラーメンのレンゲやらがまるでかんざしの様に髪の毛のあちこちに刺さっている。

 

「・・・なるほど」

 

乱馬の争奪戦が繰り広げられていたようだ。

 

「あ、ヤベ。とりあえず浴衣脱がねーと。なびきからの借りもんで汚すとかしたら借金地獄だ」

「・・・そうね」

 

乱馬はあたふたしながら、あかねの枕元にある盆に乗せられた氷水の洗面器も持ち上げた。

 

「溶けてるから、ついでに作り直してきてやるよ」

 

少し優しいトーンの声に変わった乱馬が部屋を出ていくのを見送って、あかねはゆっくり目を閉じる。

 

理由はどうでも、乱馬が近くに居てくれる。

そう思っただけで何か妙にほっとして、強い眠気が急に下りてきた。

 

 

 

遠くでカラカラと心地の良い音がすると思ったら、額に冷えたタオルがそっと当てられてあかねは意識を戻した。

 

「わり・・・起こしちまったか」

 

自分を覗き込むように見下ろす乱馬は、既に男の姿で普段の服装に戻っている。

 

「・・・今、何時?」

 

深い眠りだったのか、少し声が掠れた。

乱馬はあかねのベッドの上にある時計を見る。

 

「19時12分」

 

打ち上げ花火は20時15分からの筈だった。

けれど体感でそれまでに熱を下げきるのはやはり無理そうだと理解する。

 

 

「じゃあおれ、そこに居るから」

 

そう言った乱馬は、あかねの部屋のドアを指差した。

 

「・・・え?」

 

「廊下で大介から借りた漫画読んでっから。ドアは開けとくから、何かあれば呼べ」

 

「・・・花火大会行かなくていいの?」

 

「じーさんに散々打ち上げられてっからな。花火なんて今更じっくり見る必要ねーだろ」

 

「乱馬・・・私なら大丈夫だから、花火大会行っておいでよ」

 

その時に乱馬は急に苦いものを口にしたように顔を歪めた。

 

「・・・何?」

 

「いつか言ってやろうと思ってたけど・・・おれ、お前の『平気』と『大丈夫』は、全っ然信用してねえからなっ」

 

それははっきり怒りを含んだ声だった。

 

「・・・・・・」

 

「あとそれが余計に周りに心配掛けるって事も少しは気が付けよ」

 

「・・・周り?」

 

「かすみねーちゃん、おれが帰ってきた時、門の前でうろうろしてたぞ」

 

その一言は流石に、ずしりと来た。

 

「おねーちゃん・・・お祭り行ってなかったの?」

「お前が『大丈夫だから行け』って言うから、家は出たけど気が引けたんだろ」

 

「・・・・・・」

 

「おれが付いてるからって言って、ようやく行ったよ」

 

 

気遣っていたつもりなのに、それが相手の負担になるだなんて。

ショックだった。

 

「おい」

 

涙ぐんだ瞬間に、乱馬に急に強く二の腕を捕まれる。

 

「誰もお前の事、迷惑だなんて思ってねえからな。余計な事考えんなよ、ばか」

「・・・・・・」

 

それでも溢れてきた感情が、目から溢れてしまう。

 

「病人のくせに何泣いてんだよ・・・泣くような事じゃねえだろ」

「・・・だって」

 

「かすみさんだって、ただお前の事、心配してるだけだろ。誰も傷付けてねえよ」

 

そんなに自分の事を心配して欲しくない。

だから大丈夫だって言っているのに。

 

「お前のねーちゃんは、そんな柔じゃねえだろ。しっかり二人の妹でっかくしてんだから」

 

乱馬は無神経な様で、たまに凄く核心をついてくる。

 

しっかりと自分に刺さってくる言葉は、見ていないようでちゃんと見ていてくれている事を感じさせた。

 

「とにかくあれだ、それでもおれはお前の『平気』と『大丈夫』が嫌いだ」

 

きっぱり嫌いと言われて、耐えるように唇を噛む。

 

あかねを掴んでいた手が離れて、熱と同化し始めていた額のタオルが裏返された。

冷たいタオルの感触がして、やんわりと額に馴染むように手のひらで押される。

 

「だからおれの前ではその言葉、あんま使うな」

 

「そうしたいけど・・・」

「なるべくでいいよ。あんま難しく考えんな・・・ただ少し、思った事そのまま言って欲しいだけだ」

 

そう言った乱馬の手があかねの額からそっと離れた。

 

「じゃあおれ廊下にいるから。何かあったら声かけ・・・」

 

反射的に自分から離れようとする乱馬の手を追って、それを握った。

 

「あの・・・嫌じゃなかったら・・・近くにいて」

 

その途端に乱馬の手がぎこちなく強張る感触がする。

 

「べ、べ、べ、別にいーけど・・・」

 

ぎくしゃくと動きながらも、乱馬はあかねのベッドに寄り添って床に座り込んだ。

 

「でもやっぱり・・・近くに居てもらったら風邪うつっちゃうかな」

 

「お、おれはこんな事くれえで風邪引いたりしねーよ。真冬でも庭の池落ちたりしてんだぞ」

「そか・・・」

 

ほっとして乱馬の手を握ったまま、少し眠くなってきた。

 

「ねえ乱馬」

「お、おう」

 

「このまま少し寝てもいい?」

「・・・い、いーけど」

 

あかねは乱馬の手を少し自分の方に引き寄せて、握っている力を少し緩めた。

それでも強張ったままの乱馬の指先はぎこちなかったが、あかねから離れることはない。

 

「もう少し寝ろ」

「・・・うん」

 

ゆっくりと目を閉じたら、遠くでロケット花火の風を切って鳴くような音が聞こえた。

 

 

 

後編に続く

 


・あとがき・

かすみさんとあかねの関係。原作では深く描かれていないけど、母親失った年齢が違うし姉妹の一番上と下だから、どこかに母と娘の要素もある気がして、そこを少し書いてみたいなと思いました。後半ではなびきのことが出てきますが、あれもなびきなりの姉の優しさかなと思っています。原作でもそういう場面がありましたしね。