夏風邪・後編

 

深く眠っている筈なのに意識がある。

それはきっと不自然に強張ったままの温かさのせいだろう。

 

少しずつ目が覚めて行く中でも、その温かさは変わらずにある。

 

ふっと目を開いた瞬間、あかねはまだ自分が夢の中に居るのかと誤解した。

こんなに優しい目で真っ直ぐに自分を見る乱馬の顔を今まで見たことがなかったからだ。

 

そう感じた瞬間に二人の距離はがばっと大きく広がった。

乱馬が慌てて飛び退いたせいだ。

 

「お、お、おれ、な!何もしてねえからなっ!!」

「・・・わ、分かってるわよ」

 

「じゃ、じゃあ何でそんな驚いた顔したんだよ」

 

優しく見つめる乱馬に驚いた、なんて言えるわけがない。

全身全霊で否定されるのも腹立たしいし、ただの自惚れだったのかなと悲しくもなる。

 

「・・・目が覚めた時に人が居たから」

 

「お前なあ・・・おれの存在忘れてたのかよ。ずっと人の手拘束してやがったくせに」

 

呆れたように怒ったように唇が尖る。

 

拘束はしてない。

握っていただけだ。

しかもとても緩く。

 

それでもそのままで居てくれたのは乱馬の方だ。

 それともこれもただの自惚れだろうか。

 

「・・・ごめん。疲れた?」

「別に、何ともねえよ」

 

ずっと拘束されていたらしい右腕を肩からグルグルと回す乱馬は、空威張りする子どものような顔だった。

 

あかねは乱馬に気が付かれないように、そっと口だけで笑う。

本当にこの許嫁は表情が忙しい。

 

「ねえ乱馬・・・今何時?」

「今は・・・20時02分」

 

「・・・そか」

「・・・・・・」

 

乱馬は黙ってベッドに近づくと、枕元にある体温計をあかねに差し出した。

 

「熱、計ってみ」

「ん、ありがと」

 

毛布の下でパジャマの襟を引っ張ると、そこから体温計を差し込む。

 

こんな時でもしっかり顔を逸らす乱馬が、寝ている私に何かする訳が、出来る訳がない。 

そしてそれを少し淋しく思ってるだなんてことは、絶対本人に知られたくない。

 

熱下がってたらいいな。

乱馬と花火見たいな。

 

願いを込めるような数十秒。

毛布の奥から、小さく測定完了を報せるアラームが鳴った。

 

取り出した体温計を見る。

 

「・・・何度?」

 

睨んでいたら数値が変わらないかと試そうとしたら、その前に乱馬に体温計を奪われる。

 

「8度2分て・・・絶賛放熱中だな」

「・・・・・・」

 

乱馬はあかねの顔をじっと見て、んーと顎を引く。

 

「そんな捨てられた子犬みてーな目してもダメ。今日の花火大会は中止です」

 

上目遣いで目を開いて悲しそうな顔をする乱馬。

どうやらそれは自分の顔真似らしいと分かって、近くにある小さなクッションを投げた。

 

それはボスッと乱馬の顔の中心にヒットして、落下する。

 

「・・・凶暴女」

「病人からかわないでよ、ばか」

 

「そんな凶暴で寸胴な天道あかねさんに朗報です」

 「ちょっと・・・頭かち割るわよ」

 

乱馬はごそごそと上着のポケットに手を入れると、四つ折りになった紙をあかねに手渡す。

 

「ほれ、開いてみ」

 

よれたその紙を広げてみる。

そこにはこう書かれていた。

 

『きみは最後まで生き残れるか!?流幻沢巨大珍獣日帰りバスツアー』

 

「・・・え・・・これ」

「これ連れてってやるから。早く風邪治せ」

 

「けど乱馬・・・」

「真之介の顔、見てえんだろ?こないだポツリと名前呼んでたもんなぁ~」

 

乱馬はからかうような、それでいて少しピリッとする苛立ちも混ぜた顔で笑う。

 

「乱馬・・・平気なの?」

 

「けっ!おれはそんなせせこましい嫉妬男じゃねえよ」

 

乱馬はナルシスト全開のキリッとした決め顔をこちらに向ける。

 

「日帰りバスツアーだからな、時間通り進行だから、しっかり守れよ。ほらホテルでランチとかもあるし、途中道の駅で買い物とかもあるし。そうだなあ巨大珍獣とふれあいタイムのほら、この30分間。ここであいつガイドしてるらしいから、30分間は話し放題だぞ☆あとなこのツアー危険だから一人行動絶対禁止な☆」

 

お、おもいっきり・・・せせこましいんですけど!?

 

あかねはふっとひきつり笑いを返す。

 

「・・・安心しろ・・・冗談だ」

 

ほ、本当に?

 

お互いに不自然な笑顔のまま、一瞬の間があく。

 すぐに作り笑顔に疲れて顔を戻すとあかねは乱馬に訊ねる。

 

「でも連れてくってこのツアーの代金・・・乱馬お金ないのにどうするの?」

 

「その為にさっきバイトしてきたんだよ。超絶ブラックなとこでな」

 

何故か乱馬はまだ不自然な顔のまま笑っている。

 

「バイトってまさか・・・」

 

「あはははは・・・なびきって相変わらず鬼だな☆」

「な、何されたの?」

 

「『彼女が浴衣を脱ぎ始めたら下着をつけてなかったに使っていいよ』タグだってよ☆スゲー人気タグで上位行くと業者から広告料でるらしいぞ。因みにこれ以上言いたくないし想像されたくないから、もう訊くな☆」

 

乱馬は笑っているのに殺気立っている。

 

「・・・それでさっき浴衣着てたの?」

 

「だよ。なびきのヤロー、ろくでもねえ理由つけやがって・・・おれがそんなあざとい奴な訳ねえだろ。なあ、あかね」

 

「う、うん・・・」

 

でも乱馬、私もかすみおねーちゃんも割と納得していたよ、なんて事はとりあえず言わないでおこう。とあかねは思う。

 

それに乱馬はどんなにナルシストでも、せせこましくても、あざとくてもーー

 

 

その時、音階がうねる笛のような音がして

一瞬の静寂の後に空気が短く振動した。

 

「お、花火始まったぞ。あか・・・」

 

カーテンを開こうと立ち上がりかけた乱馬だったが、予想外に自分の動きを遮る反動が来て、そのまま腰を抜かして尻餅をついた。

 

あかねが首にすがり付いてきたと自覚した途端、思考も力もなくなって皮膚の感覚だけが鋭くなる。

 

自分より高い温度の柔らかさが、ぴったりと自分の身体に密着する心地好さに背筋がおかしな硬直を始めた。

 

「あ・・・あか・・・ね?」

 

乱馬の首筋は夏の蒸し暑さでじんわりと汗ばんでいる。

破裂してしまうのではないかと心配になるようなリズムの鼓動が、乱馬の胸と重なる部分から急激に響いてきた。

 

「嬉しい・・・」

「う、うん」

 

ガチガチに緊張した両腕が、ぎこちなくあかねの背中に回される。

 

「真之介くんの事呟いたのは身体の事心配だっただけ・・・誤解しないで」

 

「う、うん、わ、分かってる、そんなことだろうと思ってた・・・あいつはお前の恩人だし・・・」

「うん・・・あとね」

 

普段なら意地を張って恥ずかしくて言えなかった言葉がすんなりと出る。

 

「今日ほんとは乱馬と花火大会、凄く行きたかった」

「・・・うん」

 

 「新しい浴衣買ったから乱馬に一番に見て欲しくかったの・・・だから行けなくて悲しい」

 「・・・知ってる」

「え・・・」

 

「なびきに着付けて貰ってる時に見たよ。押入れのとこに掛かってたろ・・・なびきからあかねのだって聞いた」

 

「・・・・・・」

 

「お、おれが気に入るようなの選ぶのに、何時間もかけて試着してたって・・・」

 

お、おねーちゃんのばかっ。

絶対内緒って言ったのに・・・。

 

風邪の熱とは違う、別の熱さが顔の温度を急激に上げる。

 

「う・・・うん」

「あの浴衣・・・お、お前に似合いそうだったな」

 

「え・・・ほんと?」

「う、うん」

 

奥から溢れて目を潤ませるものを堪えて満面に笑う。

 

「ありがとう」

 

緊張していた両腕の力が抜けて、乱馬はあかねを見上げる。

 

「あの・・・そ、そんなにおれと・・・花火見たかった?」

「・・・うん」

 

熱のせいか、乱馬のせいか。

思ったままの言葉がさらりと出る。

 

今度は乱馬の顔が急激に赤みを帯びて行く。

 

「・・・10分・・・や、5分だけだぞ」

「・・・え?」

 

窓の向こうでは何度目かのスターマインが始まったのか、賑やかに空気を揺るがす音が響いていた。

 

 

 

外は湿気が皮膚を圧迫するような蒸し暑さだ。

乱馬はタオルケットにくるんだあかねを両腕に抱き抱えて、軽々と屋根まで上る。

  

「方角的にあっちか」

 

運良くこの辺りは戸建ての多い住宅街だ。

高すぎて花火を遮る建物は少ない。

 

乱馬はあかねをゆっくりと屋根に下ろすと、自分の前に座らせて後ろからあかねを抱き締める体勢になる。

そして滑り止めの様にあかねの前で足を開いて折り曲げて座った。

 

「よし、特等席確保」

 

極太の筆で薄墨を塗り潰したような東京の夜空は、町の灯りで裾の方を明るくさせている。

 

その時、二人の正面からうねりを上げて高く上る一筋の光が見えた。

 

ふっと姿の消えた後に大きな球体の火花が色鮮やかに緑に閃光すると、急に真っ白な金属のように姿を変えて空で一斉に弾けて、キラキラと瞬く。

 

ほんのり遅れて振動がくる。

 

それがきっかけの様に一斉に連続で上がり始めて、ぼんやりとした夜空を色鮮やかに染める大輪の花に、あかねはしばらく夢中になった。

 

「・・・綺麗」

「・・・・・・」

 

それから変わり種の何かのキャラを模したような特種な花火が連続で打ち上がる。

 

「・・・くまかな?パンダかな?ねえ乱馬あれおじさまにそっくりだね」

「・・・ん?あ、そだな・・・」

 

何故か気もそぞろな乱馬のトーンに気がついて、あかねは振り返ろうとした。

 

けれど急にタオルケット越しに自分を抱き締めていた両腕にぐっと力が込められて、乱馬に横顔を向けたまま動けなくなる。

 

そしてあかねの華奢な首元に、乱馬の額がゆっくりと寄りかかってきた。

 

「はーーーーっ・・・ヤバい」

 

乱馬はあかねに額を擦り付けて、更に抱く力を強める。

力強い腕と胸に挟まれたあかねはぎゅうっと押し潰されそうになった。

 

そして乱馬は押し出すようにゆっくり深いため息を吐くように呟いた。

 

 

「何かおれ、何か今ほんと・・・めちゃくちゃ幸せ・・・」

 

 

「・・・え?・・・」

「!?」

 

 

乱馬は急にガバッと顔を上げる。

 

「え、え、え、あれ、え?」

 「・・・・・・」

 

「・・・今の聞こえた!?」

 

こくりと頷いたあかねが、乱馬に撥ね飛ばされたのはその直後だった。

 

「うわああああ!?」

「・・・きゃっ!」

 

撥ね飛ばされた勢いで、滑らかなタオルケットでくるまれたあかねは、屋根の斜面を激しい摩擦で滑り落ちていく。

 

「わっ!あ!あかねっ!!」

 

必死で雨樋を掴もうとしたが、斜面で勢いがついていた為に落下の方の力が強く、あかねの身体は庭に向かって放り投げられた。

 

タオルケットだけが空気の抵抗で落下のスピードを緩めてバサッと広がる。

 

乱馬が庭であかねを何とか受け止めたのは、本当に地面に叩き付けられるスレスレだった。

 

スライディングで何とかあかねの落下位置に間に合った、という方が正しいかもしれない。

乱馬の身体がクッションになりあかねは何とか無傷で着地する。

 

 

 

乱馬の腹の上に座り込んで驚いた顔のまま硬直しているあかねと目が合って、乱馬はとにかく何か言い訳しなければと上半身を起こす。

 

「さ、さ、さっきのはだな・・・あの」

 

狼狽えながら言葉を探していた乱馬に、少し遅れてきたタオルケットがばさりとかかって、乱馬の言い訳は遮られた。

 

まるで布かぶりのお化けのようになっている乱馬はそのままでいる。

 

「頼む・・・さっきの忘れてくれ」

 

タオルケット越しにこもった声でも、乱馬が切羽詰まっている事は分かる。

 

忘れる?

もう聞いちゃったのに?

 

この布かぶりのお化けは無茶な事を言う。

と思ったら急にふふふと笑いが込み上げてきた。

 

「・・・何笑ってんだよ」

「ごめんね。でももう無理」

 

「・・・だよな」

「うん」

 

うーっと後悔するようにタオルケットを引っ張り伸ばして呻く布かぶりお化けは、急にバサッとタオルケットを両腕で捲って中から紅潮しきった顔を見せた。

 

かと思えばその捲ったタオルケットをあかねの方にまで掛けて、そのまま少し強引に自分の方へ抱き寄せる。

 

あかねは乱馬の大胆な行動にただびっくりして、されるがままになっていた。

 薄暗いタオルケットの中の空間で、急激に酸素が薄まり互いの熱気がこもる。

 

乱馬はあかねの額に自分の額をくっつけた。

 

 

「あ、あの・・・近いよ?」

 

 

流石に照れたあかねの顔を、乱馬は紅潮したままじっと見つめている。

  

「忘れてもらえないならどうせ一緒だ」

「え・・・?乱」

 

名前を呼びきる前に、あかねは乱馬に唇を塞がれた。

強張ったままの固い唇は、そっと触れてから一度迷うように離れて、もう一度あかねの唇を押し潰す。

 

驚きのあまり目を閉じるタイミングを逃して、そのまま開いていたら、乱馬の長い睫毛が触れそうな程近くにあって、綺麗だなと思う。

 

ただ短く押し付けられただけのキスが終わって、乱馬の顔が離れる。

 

それを名残惜しく思った瞬間に、ようやく乱馬にキスをされた実感が広がって、急激に胸の鼓動が高まってきた。

 

「・・・え、お、お前ずっと目開けてたの?」

「だ、だってタイミングがわ、分からないんだもん」

 

辿々しく言い合いながらタオルケットを剥ぐと、お互いに髪がぼさついていて、しばらく見合って吹き出した。

 

そうして鏡の代わりみたいに、互いの髪を直し合う。

 

自分の髪をとかすように優しく触れる乱馬の指先が愛しい。

 

そんな風に思っていたら乱馬の両手が頬まで下りてきて、ゆっくりといたわるようにあかねの顔を自分の方へ寄せた。

 

今度は自然と目が閉じて、その直ぐ後に、さっきよりもずっと柔らかい、けれど少し震えた唇が自分に遠慮がちに触れた。

 

乱馬の唇ってこんなに柔らかくて熱かったんだ。

 

触れるだけの長いキスは、呼吸の仕方も分からなくて、互いに辿々しくて。

けれどこんなに恥ずかしくて、嬉しい日は、きっと絶対に忘れられない。

  

上空では最後の特大スターマインが次々と色鮮やかに花を咲かせては、一瞬の余韻を残して消えて行く。

 

これが終わってしばらくすれば、また天道家はいつもの賑やかさを取り戻す。

 

それまであと少し、もう少し。

 

二人はぴったりと寄り添って、重なりあうように咲く満開の花を見上げていた。

 

 

 

「なーんで乱馬くんが風邪ひいてんのかなー?ねー?あかね、なんでー?」

 

なびきがからかうように、氷枕を準備するあかねを覗き込む。

 

「だから看病してくれたからって言ったじゃない」

 

「あの過剰健康優良児が?看病くらいで風邪ひく?」

 

「なびきちゃん、もうそこまでにしてあげたら?」

 

流石かすみおねーちゃん、ナイスフォロー。

 

「あの乱馬くんにあかねの風邪が移ったってだけで、聞かなくても分かる事でしょう?」

 

にっこりと微笑むかすみ。

 

「・・・おねーちゃん、そこフォロー所か思い切り抉ってくるんだ」

 

二人は自分の姉の底知れぬ何かを見たような気がして、この人には絶対勝てないなと互いに強く思うのだった。

 

 

 

終わり


・あとがき・

後半のこちらでちょっと乱馬っぽくないセリフというからんま1/2世界じゃなくて羽海野チカさんのキャラぽくしてしまった部分がありますw乱馬らしくないかなと消そうかと思ったけど、結局そのまま掲載してしまった。

あと一場面だけ、原作の乱馬ではなく実写の乱馬くん(賀来くん)がしそうだなと思いながら書いた所もあります。