桜、咲く

 

例年よりも冬の寒さを抜けるのが遅かったせいかその年の春は出遅れて来た。

おかげで入学や入社の緊張で強張る人々の心を癒すように、ソメイヨシノは四月を過ぎて咲き乱れている。

 

そんな満開の桜の大振りの枝の上に両脚を掛けて座る乱馬は、すぐ間近で薄紅色に咲く花には何の興味もないようだ。

 

それよりもその木の下で幹に寄り掛かる少女をただじっと見下ろしている。

 

まだ少し肌寒い風に吹かれて、少女の長い髪がさらさらとなびく。

 

視界を遮るその髪を指先で撫でるように耳に掛けた時、その表情が見える。

真新しい制服を着ているのに、その美しい顔立ちは陰っていた。

 

長い睫毛が見上げた方に何があるのか思い当たった時、彼女の陰った表情の理由が流れ込んできて、枝を掴んでいた手に余分な力が入る。

 

 

バキリと何かが割れる音がして、バランスを崩した乱馬は地面に向かって落下した。

 

その瞬間に上を向いた少女と目が合う。

透き通った肌と黒を深めた大きな瞳。

 

自分の視界に飛び込んできたそれに、吸い込まれる気がして、受け身をとるのを忘れてしまう。

 

思い切り地面に身体を打ち付けられた乱馬を覗き込む少女。

 

 

「・・・乱馬、何してんの?大丈夫?」

「・・・花見と言う名の朝寝」

 

「何それ」

 

ふっと笑う時の口元の柔らかさが温かい。

 

「あ、あかねこそ、何してんだよ」

「・・・逃げてきた」

 

「逃げてきたって、さっきお前に絡んできたウゼーのはおれが倒してやっただろ」

 

制服に絡む小枝やら土やらをパンパンと払いながら、乱馬は立ち上がる。

 

入学式に向かう通学路の途中で、長身で和装の竹刀を持った男が、あかねの手をいきなり掴んで「交際してやろう」と宣言してきた。

 

あかねと並んで歩いていた乱馬は、即座にその男の頭の上に飛び乗って、あかねににじりよる頭を引き剥がす。

 

同時に、少し後を歩いていたあかねの姉のなびきが、その男を「あら、おはよー九能ちゃん」と呼びかけた事で同じ高校の上級生だと理解した。

 

 

そこからは九能との一騎打ちとなり、乱馬は入学式直前に町内を駆け回る盛大な準備運動をする羽目になった。

当然打ち負かしたが、どうやら一度の決着では済まなそうだ。

 

「その人は乱馬が倒してくれたけど・・・乱馬がその人とやり合って居なくなった間に・・・」

 

そこで全てを理解する。

これが初めての事ではなかったからだ。

 

あかねが同年代の男子たちの注目を一気に浴びるようになったのは、もっと前からの事。

 

彼女が伸ばし始めた髪が、肩に届くようになった頃。

 

 

 

「乱馬くん、あかねちゃん、中学校入学おめでとう」

 

診察室の椅子に座った東風は、くるりと回転椅子をこちらに向けて、並ぶ二人の姿を穏やかに見る。

 

「二人とも制服似合ってるね、可愛らしいカップルに見えるよ」

 

カップルという言葉に反応した気持ちを悟られないように、乱馬は憎まれ口を叩く。

 

「先生、入学祝いなんかくれよ」

 

「あはは、了解。さっき桜餅貰ったんだけど食べるかい?」

 

そう言って診察室を出ていく先生の背中を見送って、あかねを見る。

無理して笑ったままの笑顔が不自然に崩れていた。

 

「・・・可愛らしいカップルなんてお世辞だろー。いちいち真に受けんなよ」

 

「・・・だからやだったの」

「何が?」

 

「東風先生に制服見せに来るの・・・一緒だと乱馬に全部読まれちゃうんだもん」

 

ったりめーだ。

何年お前の隣歩いてると思ってんだ。

 

「じゃあ、一人のが良かったのかよ?」

 

あかねはそこでピタリと止まる。

 

「・・・ごめん、やっぱり一緒がいい。一緒じゃなかったら・・・きっとここまで来れてない」

 

一緒がいい、と言う言葉に乱馬は気を良くする。

 

「だろー、やっぱおれが居ねえとなー」

 

照れ隠しにくるりと一周して見れば、既にあかねはそこから気配を消していた。

 

「っておい、全然聞いてねーのかよ・・・」

 

見れば開けっ放しのドアの隙間から、東風が二人に出そうとしていたお茶の準備をあかねが手伝っている。

 

目もまともに合わせられない程、恥ずかしそうに頬を染めて。

 

こんな瞬間にやってくるどうしようもない気持ちは、手に取らないようにする。

そうしていればあかねの隣を歩く権利は確保されるし、誰も傷付かないからだ。

 

 

「こんにちはー、お邪魔します」

 

その時、聞き慣れた穏やかな声がした。

乱馬もあかねもそれぞれにはっとする。

 

「あら乱馬くん。ということは、あかねも居るかしら?」

「あ、はい・・・」

 

にこやかに入って来たかすみに、乱馬は曖昧な返事をした。

何処にあかねが居るかを告げたら裏切ってしまうような気がして、モゴモゴとする。

 

 

その時慌てて、あかねが診察室に入ってきた。

 

「おねーちゃん、来たの?」

 

「ええ。学校が終わったら、お父さんから東風先生に渡して欲しいって資料預かってたから。あかねちゃんたちは?」

 

「あ、あのね・・・!」

「東風先生に制服自慢ついでに、入学祝いたかりに来た」

 

狼狽えるあかねの前に割って入ると、乱馬はかすみに向かってにっと笑う。

 

「ふふふ、二人ともお似合いよ。可愛らしいカップルみたい」

 

ふと見れば、ひきつりながら懸命にえへへと笑っているあかね。

 

「あ!やべ!あかね、おれ大事なプリント教室に置いてきちまった。まだ教室までの道順よくわかんねえから一緒に来てくれ」

 

ぐいっとあかねの腕を掴んで、引っ張った。

 

「え、う、うん」

「あれ?二人とも帰っちゃうのかい?桜餅せっかく用意したのに」

 

「先生ごめん!またたかりに来るから!またなー!かすみさん、さよなら」

 

「また家にもいらっしゃいね、乱馬くん」

「はい!ありがとうございまーす」

 

 

最後にかすみに大きく言って、ガラガラガラと引き戸を閉める。

 

そうして足早にあかねの腕を持ったまま、進む。

水路を挟んでいる道まで突き当たった時に後ろから呼ばれるまで、乱馬は黙々と進んでいた。

 

「・・・乱馬、もう大丈夫」

 

あかねの言葉にはっとして手を離す。

離してからあかねの腕の細さに気が付いて、顔の温度が上がるような気がした。

 

「助けてくれてありがとう。嘘までつかせて、ごめんね」

 

普段はとんでもなく鈍いくせに、あかねは人の優しさには敏感だ。

 

「別に何ともねえよ。桜餅食いっぱぐれただけだ。替わりに今度、安藤屋のドーナツ奢りな。高い方だぞ」

 

「うん、分かった」

 

妙に素直すぎる返事をする時は、凄く嬉しい時か凄く元気がない時だ。

あかねは乱馬の数歩先を歩いている。

 

 

 

「・・・かすみお姉ちゃんも同じ事言ってたね」

「ん?」

 

「私たち、可愛らしいカップルだって。そう見えるのかな?」

「男女で歩いてりゃ誰だってそう見えるだけだろ。気にするような事じゃねえよ」

 

「うん、そだね」

「そうだよ、忘れろ」

 

 

「・・・ねえ乱馬」

「ん?」

 

 

振り返ったあかねは、乱馬を見て柔らかく笑った。

 

 

「また一緒のクラスだね。嬉しいよ」

 

 

あの時、あかねの肩まで伸びた髪を撫でるように、吹き抜けていく風にも桜の花びらが混じっていた。

記憶の中の視界の端に、桜の木があったようにも思うのだが、それは鮮明に思い出せない。

 

ただあかねの柔らかな笑顔と、急激に体温が上がって息が詰まる程に嬉しかったその言葉だけを焼き付けていた。

 

 

あかねが周りの男子生徒や、他校の学生から追いかけまわされるようになったのはあの頃からだ。

 

そしてそれを追い払うのは乱馬の役目となった。

けれど幼馴染みという関係は、その場をしのぐだけで完全な抑止力にはならない。

 

 

 

そうして高校に入学する今日も、二人は並んで歩いている。

 

「もう本当に面倒臭い。本当の私の事なんて、何にも分かってないのに」

 

「だな。不器用とかお酢と間違えて油入れて調理室炎上させたとか知らねえもんなー、みんな」

 

「・・・ちょっと乱馬。怒るわよ」

 

ぎろりと睨まれて、にっと笑って返す。

悲しい顔をされるくらいなら、怒っているあかねの方がずっといい。

 

 

「まあ、そっち方面はおれが何とかしてやるから。心配すんな」

「乱馬・・・」

 

「代わりに宿題は何とか頼む」

「そう来たか」

 

互いを見てふっと笑う。

 

「あ・・・」

「え?」

 

あかねの髪の毛に桜の花弁がついていた。

乱馬は無言でそこに手を伸ばすと、指先でそれをそっと摘まむ。

 

「・・・ついてた」

 

見せるように、はらりと手のひらからそれを散らす。

あかねは何故かそれを自分の手のひらで受け止めた。

 

「ほんとだ」

 

ほんのりと頬が赤らんで見えたのは、気のせいだろうか。

 

そうしてあかねはその花弁を散らした。

地面に散らばる沢山の花弁と混じって、それは存在感を無くす。

 

 

何故だろう。

それを見ていた乱馬の胸が痛んだ。

 

 

 

「・・・今日も入学式終わったら、行くんだろ?東風先生のとこ」

 

あかねは無言で、少し迷っているようだった。

 

 

「一人で行きたい?」

「無理・・・一緒がいい」

 

 

ただの不安からでも、その一言が聞きたかった。

 

「しゃあねえな。今年も一緒にたかりにいってやるよー」

 

 

 

あかねが楽しそうに笑う。

そうだよ。笑っててよ。

いつも。

 

 

「じゃあ、入学早々桜の木、折ったの謝りに行くかー。あかねも同罪な」

 

「え?折ったの?え?何で同罪?」

 

「あかねのせいで折れた」

 

「私のせい?なんで?」

 

お前が東風先生の整骨院の方に向かって、切ない顔を見せたせいだ。

 

なんて絶対に言えない。

 

 

今でなくてもいい。

いつかでいい。

 

いつか自分の方を見て欲しい。

いつか自分だけを真っ直ぐに見て欲しい。

 

 

そう思いながら迎えた。

これは何回目の春だろう。

 

 

 

 

終わり

 


・あとがき・

女らんま×あかねの幼馴染小説を書き始めたら、男乱馬でも書きたくなっちゃったという事で書きだしたのがこの小説です。

今三話の終わりまで書いてる所なのですが、どえらくシリアスになりつつあります。

元々がシリアス傾向の強い私の癖がすごい!(千鳥ノブさん口調で)

多分この先もっとシリアスです。