「…また…ここに来てしまったか…」
良牙はそう呟き溜め息をつく。目の前にある古く立派な道場の門。
それは良牙が今まで何度となく、くぐって来た門だった。
ただ一人の女性に逢うために。
時には何ケ月もかかってやっと、この門の前まで辿り着いたこともあった。
見慣れた古い大きな木戸、瓦屋根、白い土壁。
そして門の入口のすぐ右側に掛けられた道場の看板。
ただひとつだけ良牙が今初めて目にしたもの……それはその看板の文字だった。
そこには達筆の力強い筆文字で、こう書かれていた。『無差別格闘早乙女流・天道道場』
半年前からそこは『早乙女流』の格闘道場となり、道場の名前は変わらずに『天道』という名が残されたのだ。
天道道場の師範は天道早雲から早乙女乱馬に代わり、それと同時に良牙の初恋の女性、天道あかねの姓も『早乙女』になった。
何ケ月も道に迷ってそれでもその女性にあう為に、必死で辿り着いた天道道場の門前。
良牙は今、そこに立っている。
そしてそこは彼が必死で逢いに来た女性の自宅への入口でもあった。
その女性とはまさしく早乙女と姓が替わったばかりの天道家の末娘、あかねだった。
半年前のあかねの花嫁姿を、良牙は昨日のことのようにはっきりと覚えている。
肩まで届くぐらいにのばした美しい黒髪を結い上げ純白のドレスとベールに身を包んだその姿は、今まで自分が見てきたどの女性よりも美しく輝いていた。
幸福に頬を紅く染め、大きな瞳に涙を浮かべるその横顔――
良牙は一瞬、自分が失恋したのだということも忘れ、息をのんでその美しい横顔にみとれた。
そして改めて思ったのだ。
もし乱馬がこんなに美しく清純な花嫁を不幸にするようなことがあったら、その時こそ自分はどんなことをしてでも乱馬を地獄に突き落としてやるのだと。
良牙にとってはあかねが自分に振り向いてくれなかったことよりも、この先彼女が不幸になることの方が耐え難かった。
そしてあかねの一番の幸福が乱馬と結ばれることなのだということも、嫌という程知っていた。
だからこそシャンプー達のように式の邪魔をしようなどという無粋な真似は最後まで出来なかったのだ。
ただシャンプー達の気持ちを誰より痛い程分かっていたのもまた、良牙であった。
それでも良牙は、あかねが幸福であることを一番に望んだ。
あかねの幸福が自分にとっての幸福なのだと思いたかった。
それなのに何処かであかねが自分ではなく、別の男のものになってしまっという寂しさがあるのも確かだった。
そしてその想いが、自分を半年間もの長い間天道家から遠ざけていた。
それでも道に迷っているハズの自分がいつの間にか天道家の門前に来てしまうことは多かった。
もちろんそんな時は家に入らずすぐに立ち去るのだが、良牙は自然と天道家に辿り着いてしまう自分の習慣を悲しく思った。
そして今も修行に北海道まで行くつもりがいつの間にか天道家に来てしまったというわけだ。
良牙はそんな自分に呆れてふっと笑う。
「…オレもたいがい未練たらしい男だぜ…また天道家に来ちまうなんて…」
良牙はもう一度短い溜め息をつくと、門に背を向けてそこから立ち去ろうとした。
その時、良牙の後ろの方から自分を呼び止める声がする。
「良牙くん！」
明るく愛らしいその声は、懐かしいあかねの声だった。
途端に緊張で自分の身がこわばるのを感じる。
「わあ…！久しぶりだね…！良牙くんてばあたし達が結婚してから、ちっともうちに遊びに来てくれないんだもん」
あかねは緊張にこわばる良牙の表情に全く気が付かない様子で、嬉しそうに微笑みながら近づいてくる。
長くなったゆるいウェーブのかかった柔らかそうな髪をふたつに分けて束ねて、ラフなチェックのシャツににエプロン姿のあかねは、いかにも奥さんらしい服装をしていた。
けれどまだ幼さを残した愛らしいその顔は、とても人妻には見えない。
良牙はそんなあかねの姿にどぎまぎしながら、顔を紅くする。
「あっあかねさんっ…お、お久しぶりですっ…」
良牙のぎこちない笑顔にあかねは明るく 笑いながら良牙を見上げる。
「ね、良牙くん。うちに寄っていきなよ。今誰もいないんだけど、お茶でも飲んで行って。せっかく久しぶりに逢えたんだもん。ね？寄っていってよ」
その愛らしい笑顔と「誰も居ない」という部分に良牙は激しく動揺する。
（だっ誰もいないなんて…そっそんな…ひっ人妻のあかねさんと…！ふっ二人きり！？）
良牙は思わず「誰も居ない天道家であかねと二人きりの図」を想像してしまう。その図は妄想となって勝手に暴走を始めた。
良牙とあかねが二人きりで天道家の居間にいる。
他に誰も居ない居間では、あかねが思いつめた表情で良牙をじっと見つめる。
『良牙くん、あたしもう乱馬とは、別れたいと思ってるの…』
『別れるなんて…！一体何があったんです？乱馬が何かしたんですか…！？』
『違うの…！乱馬は関係ないの…そうじゃなくて…あ、あたしホントは…ずっと良牙くんのことが…！』
良牙を見つめるあかねの頬が、恥ずかしさのせいか薄桃色に染まっている。良牙はそんなあかねの表情に、どきどきと心臓が高鳴る。
『あ…あかねさんっっ！』
良牙はそんなあかねを力強くぎゅっと抱き締めた。そうして二人は禁断の甘美な世界へと…世界へと……
「…良牙くん？」
一人妄想の世界の中で暴走していた良牙の顔をあかねが怪訝な表情で覗き込んでいる。
はっとした良牙は慌てて妄想の世界をかき消す。
（いっいかん…！いくらなんでも人妻のあかねさんのことをそんな風に考えるなんてっ…！）
「…どうしたの？」
良牙が自分の妄想をしていたなどとは考えもしないあかねが、きょとんとしている。
「いっいえ！ななんでもないんです…！！」
良牙はどぎまぎしながら返事をした。
冷静な（？）心を取り戻した良牙は、あかねと二人きりになることにためらいを感じる。
（…いくらなんでも人妻のあかねさんと二人きりになるわけには……）
そう感じた良牙は、行きたいという気持ちを断ち切って拳をぐっと握りしめる。
「…あ、あの…実はオレ…用事があって…」
良牙の言葉に、あかねは残念そうな顔を見せる。
「そっか…残念だけど…用事があるなら仕方ないもんね…」
がっかりした様子を見せるあかねに、良牙は思わずやっぱり行きます！と声を掛けたくなってしまう。それでも良牙はグッと我慢してあかねに別れを告げる。
「…すみません…それじゃあ……」
せつない気持ちを無理やり抑えつけると、良牙はあかねに背を向けその場から立ち去ろうとした。
「あ…！待って良牙くん」
あかねはそんな良牙を呼び止める。
良牙はそんなあかねの声に反射的に振り返ってしまった。
あかねは振り返った良牙にためらいながら聞く。
「……もしかして良牙くん。乱馬と何かあった…？」
「…どうしてですか？」
「…だって良牙くん前はよくうちに来てくれてたのに、最近ちっとも来てくれないし…それに結婚式の日から、乱馬にも逢ってないんでしょう…？乱馬に良牙くんのこと聞いても、曖昧な返事するだけだし……」
「……」
乱馬が曖昧な返事をするのは当然だ、と良牙は思う。
乱馬は自分があかねのことを好きだと知っているのだ。
それで二人が結婚してから良牙が天道家に行くことを避けているのだ、なんてあかねに説明出来なかったのだろう。
「…あの…余計なことかもしれないけど…あたし良牙くんと乱馬に仲直りして欲しいな…」
あかねは、喧嘩が原因で自分と乱馬の仲が悪くなってしまったのだと完全に誤解しているようだ。
かと言って本当のことを言ってしまえばあかねに自分の気持ちを知られてしまうだろう。
良牙はあかねになんと答えようか迷っていた。
そんな良牙を心配そうにあかねが見つめている。
「…乱馬のことだから、良牙くんに何か無神経なこと言って傷付けたりしたのかもしれないけど……でも良牙くんも知ってるでしょう？乱馬、悪気はないと思うの。だから、許してあげて欲しいの…」
そんなあかねの表情がズキリと胸に刺さる。
きっとあかねの心配そうなその表情は、自分ではなく乱馬への想いから来るものなのだ。
乱馬を必死に庇おうとするあかねの姿が良牙の胸に傷を付けてゆく。
それでも良牙は、いくら誤解であってもあかねに余計な心配を掛けるのは嫌だった。
「…分かりましたあかねさん。オレもそろそろ乱馬と仲直りしようと思ってたんですよ。いや、たいした喧嘩じゃないんです。オレもつい意地張っちゃて…」
良牙はありもしない喧嘩の話をあかねに話す。
それ以外、自分の気持ちも知られずにあかねを安心させる方法が思いつかなかった。
「心配しないで下さいあかねさん。必ず乱馬と仲直りしますから。約束します」
「…良かった…ありがとう良牙くん…」
あかねは良牙の言葉にほっとして笑顔を見せる。
そんなあかねの表情に良牙は嘘をついてしまった罪悪感を感じながらも笑顔を返す。
乱馬のことを心配するあかねのいじらしさに、せつなくなる。
乱馬は本当に幸せな奴だと羨ましく思う。そして、苦しくなる。
あかねが、そんな良牙に向かって思い出したように言った。
「あっそうだ、良牙くんに渡したいものがあったの。ちょっと待っててくれる？すぐ戻ってくるから」
あかねはそう言うと、門をくぐって玄関の方へ走ってゆく。
「あっ…あかねさん…？」
「ごめんね！すぐだからちょと待ってて」
戸惑って呼び止める良牙に一度振り向いてそう言うと、あかねはそのまま家のなかに入って行った。
良牙はあかねの渡したいものがなんでるのか、全く想像がつかない。
（…オレに渡したいものって…一体…）
良牙が見当がつかない表情で首を傾げている所に、あかねが走って戻ってきた。
「良牙くん…これ…」
急いで良牙の元まで戻って来たあかねは、肩で息をしながら良牙に小さな手下げの紙袋を渡す。
良牙は戸惑いながらそれを受け取ると、紙袋の中を覗く。
紙袋の中には黄色のリボンのついた水色の透明なカラービニールに包まれたものが入っている。
（…なんだろう…？）
良牙は何が包まれているのか分からずにそれを紙袋の中から取り出した。
透明なカラービニールから透けて見えたのは丸いカタチをした黒いものだ。
ビニールの中にいくつも入っているそれは、大きさが不揃いでビー玉くらいのものから、それの２倍ぐらいの大きさのものまであった。
そして良牙は、それがチョコレートであると気が付く。
「…チョコレート…」
良牙が呟くのを聞いて、あかねは恥ずかしそうに俯く。
「あ、あのね…それ、トリュフチョコって言うんだけど…大きさがバラバラになっちゃって…あっでもね！味は大丈夫だよ、あたしね味付けだけはちゃんと出来るように…」
「これ…あかねさんの手作りなんですか…？」
あかねの言葉を遮った良牙の言葉に、あかねはますます顔を赤くして申し訳なさそうに俯く。
「…ご、ごめんね…あたしの手作りなんて…貰っても迷惑だったよね…」
良牙は慌てて否定する。
「違います！迷惑だなんて…！そうじゃなくて…なんでオレに？」
あかねは良牙の言葉に、ほっとしながら言った。
「…先週バレンタインデーだったでしょう…？それで、乱馬の分と一緒に、良牙くんのも作ったの…いつもお土産貰ってばっかりだし…それに良牙くんにも食べて欲しかったんだ。良牙くんいつもあたしの作ったもの喜んで食べてくれてたし…」
あかねは良牙の方を見ないで俯いたまま話を続ける。
「でも先週作ったから古くなっちゃって、昨日新しいの作り直したの。もし今週中に良牙くんに会えなかったら、それ、捨てるつもりだったんだ…良かった会えて…」
「…それとね、チョコあげたこと…乱馬に内緒にしてくれる…？バレンタインの時、良牙くんの分も作ったって言ったら乱馬すっかりスネちゃったの。いつもお土産貰ってるお礼だって言っても、なかなか機嫌治してくれなくて大変だったんだ。いつからあんなにやきもちやきになっちゃったんだろうね」
あかねはそう言うと、笑いながら良牙を見上げる。
そして良牙が茫然としたまま立ちつくしていることに気が付いた。
「……良牙くん？」
そう言って自分を不思議そうに眺めるあかねに、良牙ははっとする。
「あの…もしかして迷惑だった…？」
不安そうな表情に変わったあかねに向かって、良牙は静かに言った。
「……あかねさん」
その時、良牙はとても柔らかく笑んだ。
あかねはそんな良牙の表情を、初めて見たような気がする。
「……ありがとう…あかねさん…」
初めて見る良牙の柔らかい微笑みに、あかねは返事をすることも忘れて良牙を見つめていた。
「…あかねさん…オレ達…これからもずっと友達ですよね？…あかねさんが結婚しても、オレがいつか結婚しても、ずっと友達でいられますよね……？」
良牙はあかねに初めてその言葉を口にした。
けれどその言葉には少しも悲しい響きがなかった。
あかねは良牙のその言葉に優しく微笑んで、言った。
「当り前じゃない。どんなことがあってもあたしはずっと良牙くんの友達だよ？良牙くんが結婚したって、あたしが結婚したって、あたし、ずっと良牙くんの友達だよ？」
良牙はあかねのその言葉を初めて素直に受け入れることが出来た。
初めてあかねと友達でいられる自分を幸福だと感じたのだ。
良牙はあかねにもう一度言った。
「ありがとう…あかねさん」
そして今度こそ最後だと心に決めて明るく言った。
「…オレ行きます。さよなら、あかねさん」
『さよなら』という言葉が、あかねにはやけに重く響いて聞こえた。
「…良牙くん？」
不安げな表情を自分に見せるあかねに、良牙はくるっと背を向ける。
「…そんな顔しないで下さい。そんな顔見ちゃったらまた好きになっちゃいますよ」
「……え…？」
あかねにはその良牙の小さな呟きが聞き取れなかった。
良牙は振り返ると、満面の笑みを見せる。
「また来ます！さよなら！」
良牙は、そのまま一度もあかねを振り返らずに走り去って行った。
（…さよなら…あかねさん…さよなら…）
良牙は心の中で何度もそう呟いた。
今度あかねに逢う時は、きっと本当の友達としてあかねを見ることが出来るだろう。
だから何度も呟いた。
Ｐちゃんとして過ごしたあかねとの日々。
ペットとしてではあるけれど誰よりも近くであかねを見つめ、その優しやさや時には少女らしい弱さに寄り添ってきた日々。
自分を見つけて抱き上げてくれる時の柔らかい笑顔。
初めて、自分に恋とゆう感情を教えてくれたあかねに――
そして実らなかったその初恋に――さよなら――
いつもと様子の違った良牙の背中を茫然と見送っていたあかねは、後ろから急に背中をポンと叩かれて驚く。
「新婚早々浮気かあ－？いい度胸してんじゃん。オレとゆーカッコイイ旦那様がいるってのによ－」
「…乱馬。見てたの？」
振り返るあかねの背中に腕をまわしながら、乱馬は冗談ぽくあかねに言った。
「そりゃもうバッチリ。でも浮気すんなら家の前はやめた方がいいと思うぜ？オレに見つかるぞ」
あかねはその言葉に吹き出す。
「じゃあ見つからなかったら浮気してもいいの？」
「…いーわけねーだろ」
乱馬はそう言うとあかねの頬に自分の唇を押しつける。
「やだ、外だよ？」
あかねは慌てて乱馬の顔を押し退ける。
「ちぇっケチ。いーじゃんかよこんくらい」
乱馬はわざと口を尖らせて見せる。
「ばか、エッチ」
あかねは顔を赤くしながら、逃げるように家の中へ入ってゆく。
「…エッチって…オレら夫婦じゃん…」
今度は乱馬が本当に口を尖らせてスネる。
「…大体よー、オレに黙って良牙の野郎にチョコやるなんてひでーよなぁ…」
乱馬は一人ブツブツ言いながら門をくぐる。
その時、玄関からひょこっと顔を見せてあかねが言った。
「…うちの中なら…いっぱいキスしてもいーよ…」
（……かっ…かわいい…）
少し照れながらそう言ったあかねの可愛い姿に、乱馬は途端に機嫌を治す。
「……まっいっか…」
乱馬は、あかねとキスする為に、いそいそと玄関の中に入って行った。
「いらっしゃい！」
誰も居ない店の中で有線放送のチャンネルをいじっていた右京は、ドアの開いた音に笑顔を作り明るく言った。
が、店に入って来たのが良牙だと分かって途端にがっかりする。
「なんや良牙か。お客かと思って愛想ふりまいて損したわ」
右京の言葉に良牙はムッとする。
「なんだその言い方は。オレだって立派な客だろうが」
「まあ、ええわ。今日めっちゃヒマやってん。さっさと注文決めてや、お客さん」
「…それが客に対する態度か」
良牙はブツブツ言いながらもカウンター席に腰をおろす。
そして良牙は右京を見つめた。まるで何かを探るように。
「…右京。どうしてあの日、シャンプーや小太刀みたいに式の邪魔しようとしなかったんだ？」
「…あの日てどの日や？」
「決まってんだろ！あかねさんと乱馬の…！」
「冗談や。ムキになるな」
右京はそう言って笑うと、カウンタ－をはさんで良牙の向かいに座る。
「どうしてやろなぁ…ウチもよう分からんねん…」
右京はカウンターに肘をつきながら、大きな溜め息をつく。
「…オレはてっきりお前もシャンプー達と暴れるとばっか思ってたんだ。けど、お前暴れる所か、あかねさんに「おめでとう」って言ってたよな…どうしてだ？」
「…それがさっぱり。ウチもなんでそんなこと言えたんか自分でも……ホンマなんでそんなこと言えたんかなぁ…」
「…そんな人ごとみたいに…」
良牙の呆れた声に右京は笑う。
「人のモンになってもうた男のこと想う程、ウチ一途やないわ」
そう言って右京は急に真面目な顔をする。
「……そやなぁ…ウチ多分あかねちゃんのこと結構好きやったんかもしれんわ…あの娘、ええ子やん。なんか憎めない…ちゅうかなぁ…あかねちゃんなら…まあええかって気持ちもあってん…」
右京はそう言ってふっと笑顔になる。
良牙はそう言って笑う右京の表情が、すでに乱馬のことを過去の想い出としてふっきった笑顔なのだろうと感じる。
そしてそんな右京の姿に、良牙は心から感動した。
「…右京…お前…すごいな」
「すごいって何が？」
自分を関心するように見つめる良牙を、右京は不思議に思う。
「……オレ…オレも…いつかそうやって…笑える日が来るのかな……」
「あったり前やろ！失恋はキッツイけど、死ぬわけやないんやで？生きとったら時間が忘れさせてくれるわ。ウチら人間にはな、覚える機能の代わりに忘れる機能もちゃーんとついてんねんで？あんたなんか子供の頃から乱ちゃん一途だったウチより全然マシやないか」
右京はいつの間にか、良牙を励ますような口調になっていた。
「…そうだな」
良牙はその時、右京の言葉だからこそ素直に聞くことが出来たのもしれない。
自分と同じように失恋して、それを逃げずに受け入れた右京の言葉は良牙の心に響いた。
「なんやねん。随分素直やなぁ…あんたが素直やと気色わるいわ」
「…うるさい。人が素直に返事した時ぐらい優しい言葉のひとつでも掛けるって気持ちがお前にはないのか？」
右京の憎まれ口に、良牙は右京を睨みながら言い返す。
けれど二人はそんな自分達のやりとりに顔を見合わせて笑った。
その時、店のスピーカーから急に音楽が流れてくる。
突然鳴り出した音楽に良牙はびくっとする。
「あ…治ったんかなこの機械。ずっと調子悪かってん」
右京はそう言うと、有線放送のチューナーをぺんっと軽く叩いた。
[newpage]
玄関先で乱馬に抱き締められながら、あかねは乱馬と長いキスをした。
そうしながらふと、良牙の最後の言葉が浮かぶ。
『さよなら』
それと同時に良牙のその時の表情が浮かんだ。
満面の笑顔で、良牙はそう言った…でも……。
急に、自分から唇を離したあかねの顔を、乱馬は覗き込む。
「どうした…？」
あかねは俯いて沈黙する。
あかねのそんな表情が乱馬には悲しげに見えた。
「……あかね？」
あかねは自分を心配そうに覗き込む乱馬の胸に、顔をぎゅっと押しつけしがみつく。
「…お、おい。どうした…？」
乱馬は自分の胸にしがみついているあかねを見下ろす。
あかねはそれでも、しばらく沈黙したままでいる。
「……あんな…さよならが悲しく聞こえたの…初めて…だった…」
あかねが言っているのが良牙のことなのだと、乱馬にはすぐに分かった。
（…オレとキスしてる時に、他の男のこと考えんなよなぁ…）
乱馬は不満に思いながらも、優しくあかねを抱き締めて髪を撫でてやる。
「きっと…また…来てくれるよね…良牙くん…」
あかねは乱馬の胸にしがみつきながら小さな声で呟く。
「……あったり前だろ？あんま認めたくはねーけど…良牙はあかねの…一番の男友達だからな。ほっといたって遊びにくるさ…そのうちきっとな…」
乱馬はあかねを抱き締めながら優しく言った。
あかねはそんな乱馬を見上げ、嬉しそうに微笑む。
「…そうだよね…ありがとう…乱馬…」
そんな嬉しそうなあかねの表情に、満足して乱馬は心の中で呟いた。
（…ま、あいつは『友達』だけどオレは『夫婦』だからな…今回くらいは多目に見てやるさ…）
乱馬はそのまましばらくあかねを優しく抱き締めていた。
「え、コレあかねちゃんの手作りなん？…あ、ホンマや。よう見ると大きさバラバラやんか…これは間違いなくあかねちゃん作品やわ…」
良牙はそう言って一人納得している右京からカラービニールの包みをひったくる。
「失礼なこと言うな！あかねさんのものに…！」
「あんたなー、そーゆうの義理チョコ言うんやで？本気で喜んでどないすんねんな。アホ」
「うっうるさい！義理だろーが本命だろーが構うもんか！大事なのはコレをオレの為に作ってくれたってことだ！」
「…あっそ。そんで、あんたコレもう食うたんか？」
「こんな大事なもの食えるわけがないだろう！…あかねさんとの友情の証に一生とっておくんだ」
そう言って大切そうにリボンをほどくと良牙はカウンターの上にそれをそっと広げて眺めた。
そのチョコのひとつひとつにあかねの愛情が込められているような気がする。
右京はそんな良牙を呆れながら見つめた。
良牙は身動きもせずに、ただそれを見つめながらじっとしている。
（…アホらし…）
「…あんたな、こんなもん一生とっとけるわけないやろ、すぐカビてまうわ。大体あかねちゃんやって食べて貰う為に作ってんやろ？ほな食べてやらんかい」
右京のそんな言葉を無視して良牙は聞いた。
「…これ…なんていうんだ…？」
「あんたそんなことも知らんの？これトリュフチョコいう奴や。この色合いからすると…ミルクチョコやな…」
「そうじゃない…！この曲の名前を聞いているんだ」
その言葉に右京は良牙がチョコレートの種類ではなく、店に流れている有線放送の音楽の曲名を聞いていたのだと気が付く。
右京がその曲に耳を澄ます。
「ああ…これな…なんやったけな…確かラブレター？とか何とかゆう曲やったと思うけど…」
「……そうか…いい曲だ…」
良牙は、そのまま耳を澄ましてその曲に聞き入っている。
「なーんやあんた感傷に浸ってんのんか？」
右京はからかうように笑って良牙を見る。
「ちっ違う…！ただいい曲だと思っただけだ…！」
良牙は、慌てて否定すると、俯いてビニールの上に広がる丸いチョコレートをじっと見つめている。
（…だから、そういうのを感傷に浸るっていうんや…）
右京の呆れた顔を見上げ、良牙は言った。
「…食べよう。腐らしたって失礼なだけだ…お前も食え…オレ本当は…甘いの苦手なんだ」
右京は、そんな良牙の穏やかな口調にためらう。
「…ウチはええ…コレはあかねちゃんがあんたに…」
「いいじゃねえか。残すなんて失礼なこと、オレ出来ないし…お前はずっとオレを応援してくれてたからな…特別だ」
良牙は笑顔で右京に言った。
「……良牙」
「ホラ、食えよ。オレはこれにしようかな」
良牙は明るい口調で言うと、チョコレートをひとつつまんで、口の中に放り込む。
右京は戸惑いながら小さなチョコレートを選んでそれを口の中に入れた。
「…甘いなぁ…甘過ぎや…あかねちゃん砂糖付け加えたんちゃうか？なあ良…」
右京は、そのまま言葉をなくす。良牙の頬に流れるものを、見たからだ。
「……苦いな……」
良牙はそう呟いてその頬をつたうものを拭いもせずに、いつまでも口の中に広がる味を確かめていた―――
終わり。
・あとがき・
過去作って自分で読み返すと、うわーっとなる事が多くてそれを掲載するってどうだろうと迷ったりもしたのですが、その時書きたかった事は下手ながらも確かにあったと思って掲載する事にしました。
良牙くん最後の方気持ち完全に二股だったけどｗ憎めないｗ今でも好きなキャラです。