「ごめんなさい・・・お付き合いできません」
昇降口では帰宅や部活の為に、沢山の人がこちらをチラチラと見ながら通り過ぎて行く。
どうしてこの人は、こんなに目立つ賑やかな所でこんな事を言って来たんだろう。
あかねは顔を赤くしながら頭を下げた。
「あ、そうだよね・・・うん。こんな賑やかな所で、急にごめんね。おれごときが呼び出すのもおこがましくて・・・。でも天道さん一人で居る事が殆どないから、今がチャンスかなって急に勢いをつけてしまって・・・ごめん」
まるで自分の考えを見透かされたように謝られて、突然申し訳なく思う。
その人はその人で懸命に気を使ってくれての今だったんだ。
「大丈夫です」
にこりと笑ったのは申し訳なさからだったのだけれど、その上級生らしい男性はそれに頬を染めて頭を掻いた。
「へえ、あかねが笑って男と話してるなんて珍しいな~。案外脈ありかもしれませんよ、センパイ」
軽い口調でそう言ってきたのは乱馬だった。
隣りに右京も居る。
「そんな事ないわよ。良牙くんとだって笑って話してるもの」
むっとしてげた箱から外履きの靴を出す乱馬を睨む。
「乱ちゃん、茶々入れたらあかんで。余計ややこしなるやろ。なあ、あかねちゃん」
「あ、あ、あの。ほんとごめんね天道さん!ぼくこれで・・・さよなら!」
乱馬と右京の登場に動揺したのか、その男子生徒は慌てて昇降口を出て行った。
「こんな事くらいで逃げ出すようじゃ、大した奴じゃねえな。良かったじゃねえか、追い払えて」
「言い過ぎよ。悪い人じゃなかったわ」
「ほお~、お前。ああいうの好みなのか」
「誰が好みって言ったのよ。悪い人じゃないって言っただけでしょう」
「まあ、どうでもいいけど、な。てか良牙の野郎はどこ行ったんだ?」
「多分・・・迷ってる」
三人が三人とも、ふうと短い溜息をつく。
「ならみんなで帰ろうぜ、いいだろうっちゃん?」
「うん、うちはかまへんで」
「えっ。いいよ。私は一人で帰るから」
「どっちにしろおれは今日道場行くんだから。行くとこ同じなんだよ」
「でも二人で帰るの邪魔したくないし」
「あかねが一人居るくらいで邪魔なんて思わねえよ。なあうっちゃん」
「・・・あんたいちいち言い方が失礼ね」
「うちはうちで店があるからな。どうせ途中までやってん。それに稽古が終わったら、乱ちゃんうちの店でお好み食べてから帰るんやろ?」
「うん、そのつもり」
「せやからあかねちゃん、うちらに気ぃ使わんで。変に使われる方がやりにくいわ」
「うん、そうだな」
結局、二人に押し切られる形で三人で一緒に下校することになった。
右京を真ん中にして、あかねと乱馬は離れて歩いている。
校門を出て次の角を曲がる所で急に右京が言った。
「なあ乱ちゃん、腕組んでもええ?」
「え・・・や、あの・・・」
「嫌なん?」
「や、やじゃねーけど、その、恥ずかしいっつーか・・・」
ちらりとこちらを見た乱馬にあかねは真顔で答える。
「私なら構わないわよ。遠慮しないでどうぞ」
「やって乱ちゃん。ほら組むで」
嬉しそうに腕を組んだ右京ごしに、顔を赤くしてぎこちなく歩く乱馬が見えた。
商店街に突き当たった道で、右京と別れて、とうとう二人きりになる。
元々、昔から並んで歩いている時に会話の多い方ではない。
けれど今日の互いの沈黙は明らかにぎこちなく、息を詰まらせそうになる。
乱馬と右京が付き合う事になったと聞かされてから、初めて二人きりになったせいだ。
「と、東風先生とかすみさんの式、春だって?」
沈黙を破ったのは乱馬だった。
「うん。きっと乱馬も招待されるわよ」
「・・・お前は、それでいいのかよ」
「何が?」
「先生の事。まだ忘れられないんだろう?」
「心配してくれてるの?」
「そりゃ・・・お前にはこっぴどく振られたけど幼馴染だからな」
「・・・うん」
「だから、辛かったらその・・・おれか右京にいつでも言え」
「ありがとう」
門前で乱馬と別れて、あかねは部屋に辿り着くまで笑顔だった。
そうしてドアを閉めた瞬間に膝からゆっくりと折れる。
どうでもいいと言われた一言、右京と腕を組んだ時の照れ臭そうな乱馬の顔、おれか右京に言えよという言葉。
何もないように飲み込むにはまだ、その存在が大きくて。
何もない振りをするだけで精いっぱいだ。
『忘れたら戻ってきて』
自分勝手なこの願いには保証なんかない。
このまま乱馬が自分を完全に忘れて去ってゆく事だってある。
けれど右京の乱馬への恋心に気が付いた時の自分の事が今でも許せなかった。
誰も失いたくない。誰にも奪われたくない。
お人好しにすらもなれてない。
本当の私はただの強欲で傲慢な人間だった。
ああ、私は偽善者だったんだ。
譲っていたのは自分が手放しても傷つかないものだけで。
優しい振りをして、優しくなることに酔っていただけなのかもしれない。
右京が乱馬を好きだと知った時、私は本能的に右京に牙を剥こうとした。
心の底からこれは私のものだと主張しようとして。
一方で自分は乱馬の恋心に寄りかかり、東風に焦がれていた。
ずっと目を背け続けてきた自分の卑しさが、今まざまざと正体を現して立ちはだかっているように思えた。
風鈴館高校1学年の林間学校が行われたのは11月に入ったばかりの頃だった。
紅葉見物も兼ねての登山という事で麓までバスで行き、それほど厳しくない日帰りの登山ルートが選ばれていたのだが、都内とは違い標高の高い山深い所ではあった。
その日右京は珍しく体調を崩していた。
という事を周りに堂々と見せる柔な性格をしていない彼女はそれを隠して登山に参加していたのだ。
そんな事は全然気が付いていなかったらしい乱馬は、昼食に用意されているらしい頂上付近の山小屋のパンとボルシチの事を聞かされるなり、さっさと学年の先頭を切って山小屋へ向かっていた。
「右京、具合悪いんでしょう?」
段々と足取りを重くする右京に声を掛けたのはあかねだった。
「・・・そう見えるか」
「そうとしか見えないわ」
「流石、幼馴染やな」
「先生に相談した方がいいんじゃない?」
「ちょっとした風邪や。日帰りのルートやし。大袈裟にせんといて」
ふっと隣りで笑う声がして右京はあかねを見た。
「右京は、こんな時でも負けず嫌いね」
「そんなん、お互い様やろ」
二人は互いに思い出している。
これまでの運動会、体育祭、ありとあらゆる物で、二人は敵同士になれば誰よりも手強いライバルとなり、味方同士となれば誰よりも心強い仲間となった。
そうしてずっと育んできたものがある。
それは他の誰かの、例え乱馬であっても立ち入れる物ではなかった。
「あかねちゃん、うちに合わせんでええで。先行きいな」
「そう言って『分かった』って先行く性格してると思う?」
今度は右京の方がふっと笑った。
「あんたはホンマに、昔から熱苦しくてうっとうしいな」
ふふふと顔を見合わせて互いに笑う。
いつだってそうだった。
このお節介で熱苦しいくらいの少女は、いつでも真っ直ぐに自分に向かって手を伸ばしてくれた。
初めて会った5年C組の教室でも。
中学に入ったばかりの頃、上級生の女子の団体に生意気そうだと呼び出しされた時も。
あかねには伝えていなかった筈なのに、いざ女子の団体に囲まれた時には自分の前に割って入ってきた。
そうして堂々と上級生相手にお説教をして、大々的にあかねの方が嫌われた。
それに対して全く臆する事もなく、陰湿な嫌がらせの数々にもからりとしていた。
そのうちあかねが天道なびきの妹であり元格闘少女だと知れ渡ると、そういう嫌がらせも自然と消えていったのだが。
ただいつも助けられてばかりな訳でもなく。
常日頃からしっかり頼られてもいた。
そんな風に他人から頼って貰えるのは初めての事でもあり心地よかった。
自分を必要としてくれている存在が居るという事が。
「・・・あかねちゃんごめん、ちょっとしんどなった」
「うん。少し休もう」
二人は狭い山道で他の登山者の邪魔にならない様に、少し山道から外れた所の岩場を見つけて腰を下ろす。
右京の額に手を当てたあかねが驚く。
「右京・・・熱あるじゃない。かなり熱い」
「家出るときは微熱やってんけどな」
「もうっ。何で無理して来たのよ」
「気合で治るやろ思てん」
「ひな子先生に伝えた方がいいかもね。というかひな子先生居なかったわよね?担任て最後尾に付く予定じゃなかった?」
「ああ、ひなちゃん先生なら乱ちゃんと一緒に競って山小屋向かって行ったで。ボルシチ好物や言うてな」
「・・・んもう~」
あかねは呆れながらも水筒のお茶をキャップに注ぐ。
「これね、ハチミツ入りのレモン紅茶なの。疲労回復するからってお姉ちゃんが。きっと風邪にも良いから。飲んでみて」
「・・・ありがとう」
手渡されたキャップに口をつけると、温かく甘い紅茶が身体に沁み込んで来た。
「寒気はない?一応首にタオル巻いておいて」
リュックからタオルを手渡されて、右京は苦笑いする。
「あかねちゃん相変わらずお節介やな」
「お節介は一日にして成らずよ」
使い方を間違えているようにも思うが、その得意気なとぼけた発言に右京は癒された。
その時まるで雲のような白い塊がこちらに向かって流れてくるのが見えた。
「・・・なんやろ雲か?」
「多分・・・霧ね」
それまですっきりと穏やかに晴れていた紅葉の鮮やかな山道を、音もなく流れて来た霧が飲み込んで行く。
そうしてあっという間に太陽を、紅葉する木々をかき消して、霧はあかねたちをも飲み込んだ。
二人は飲み込んだ時の様に直ぐに通り過ぎてまた晴れて行くだろうと考えていた。
けれどそれは山道に慣れない甘さであった事を間もなく思い知る。
数十分経っても全く晴れるどころか霧の濃度は増して、もう足元すらも殆ど見えなくなった。
真っ白な世界は柔らかく不安を煽るが、大きな恐怖は感じない。
とても不思議な光景だった。
「この霧から抜けんとまずいな。ゆっくりでも先に進もうやあかねちゃん」
「でもこの視界の悪さで無理に進むのは、あまり良いと思えないの。右京の体調もあるし」
「うちならスタミナ紅茶で疲労も風邪もちょっとマシになったわ。あんまみんなと離れると大袈裟に心配されるしな」
「そっか・・・じゃあゆっくり進もうか」
少しでも皆に追いつきたい気持ちもあって、二人は再び歩き出した。
山道に戻り上る感覚だけを頼りに、ゆっくりと歩く。
けれどしばらくして、やはり右京は無理をしているのだと分かってきた。
足元がふらつく右京を支えるように、あかねはその腕を取り体に寄り添い支えるように彼女の脇に身を入れる。
「・・・おかしいわね。道が妙に荒れているような」
「けど真っ直ぐ来た筈やけど、な」
「どこかでわき道に逸れちゃったのかもしれない。一度止・・・」
そう言った瞬間に霧の隙間からあかねが一瞬垣間見たのは、自分たちのゆく目先に地面がない事だった。
悲鳴をあげそうになった瞬間に、それを知らない右京がもう一歩先に踏み出そうとしている。
次の瞬間あかねは自分の体重をかけて右京を後方に押しやり、自分はギリギリ地面のある際で踏みとどまったつもりだった。
が、霧で湿っていた土に足を滑らせて、そのまま崖下に滑落する。
何かに引っ掛かりそれが折れてまた滑落して、何かを掴もうとして滑り、何処かに何かを激しく打ち、声を出す暇もなかった。
ああ私、死ぬのかもしれない。
一瞬過ぎった考えにも追いつかず、身体は自然と下へ向かって落ちる。
「あかねちゃん!?あかねちゃん!!」
どこくらいの間か分からないが、大きな木の根元と岩場の間に引っ掛かって何とか滑落は終わった。
衝撃と緊張で呼吸がなかなか整わず、吐きそうになる。
「あかねちゃん!?返事してや!!あかねちゃん!!」
「居・・・る・・・」
返事はちゃんとした声にならずに右京には届かない。
右京の声は大きく、パニックを起こして絶叫するようにあかねを呼んでいた。
何とか右京を安心させなければと、声を上げようとするのだが、上がり切ってしまった心拍数と恐怖で声が大きく出せない。
何とか呼吸を整えようと、木の根に向かってうつ伏せている身体を回すように力を振り絞る。
その時に左足首に激痛が走った。
「あかねちゃーん!!嘘やろっ!!」
早く無事を伝えなければ、右京が自分を助けようとして無理をしかねない。
あかねは歯を食いしばって激痛に耐えて体勢を変えると、木の幹と岩の間に仰向けになり、乱れる呼吸を整えるように、ゆっくりと深呼吸を繰り返した。
その間も泣きじゃくる右京の声は響いてくる。
ようやく少しだけ呼吸が落ち着いてきたので、出来る限りの大きな声を出した。
「右京・・・!大丈夫!」
「あかねちゃん!?生きとるんやな!?あかねちゃん!?」
「・・・大丈夫っ!」
「・・・な、何が大丈夫や!!このアホんだら!!うちの為に無茶しくさって!!今助け呼びに・・・」
「右京!駄目!動かないで!」
「そんなん言うてられんやろ!!」
「せめて霧引くまで待って!!私大丈夫なの!!」
「ケガは!?」
「ちょっと足くじいただけ!だから平気!」
「あんたの平気なんか信じられるかアホ!このアホ!!バカ!!お人好し!!」
偉いけなされように、あかねは思わず笑いを漏らしてしまった。
「信じて!霧が晴れるまでそのままでいい!」
「これがもし嘘で、あんたが死んだりしたら、うち一生恨んでやるからな!!」
普通恨むのは死んだ方ではないのか。
と思ってあかねは笑いそうになったが、泣きじゃくる右京の声は本気だった。
確かに右京の推測通りで足をくじいただけは嘘だ。
足首を尖った岩か折れた木の鋭い部分に引き裂かれたのか、割と盛大に出血をしているのはわかった。
ゆっくりと滲んでくるあちこちの痛みと出血で、身体が冷えて意識がぼんやりとする。
けれど全く声を出さなくなったらきっと右京が心配するだろう。
右京は泣きじゃくりながら、沢山のアホを見えないあかねに向かって浴びせていた。
ついさっきまで快晴だったはずなのに。
一度飲み込まれてしまった霧の真っ白な世界は永遠に続いていくようだ。
この足で自力でこの崖を上るには、相当厳しい。
霧もまだ深い。下手に動く方が危ない。
それならこのまま、意識の薄れるままに従ってしまう方が楽になれるのかも。
そんな風に思って、死に傾きそうになっていた時だった。
「あんた乱ちゃんの事置いて死んでったら!絶対後悔するからな!!」
なあにそれ。
だって乱馬はもう私を好きではないんだよ。
「あかねちゃん!!うち、あんたが居なくなればいいって思った事、ほ、本当は何度もあってん!!」
・・・ええ?そうなの?
「あんたがおらんくなれば、ら、乱ちゃんうちの事好きになってくれるんやないかって、子どもの頃も、振られた時も、何度もや!」
嗚咽の間に必死に叫びながら話す右京は、まるであかねの意識の端を必死に掴もうとしている様だった。
「平気で友達って顔して、あんたにおらんくなって欲しいって思ってた!なあ最低やろ!」
右京・・・同じだよ。
私も右京が乱馬の事好きだって分かった時、右京に乱馬を奪われたくないって思ってた。
だから右京が最低ならば、自分も同じだ。
そう言ってあげたいのに、身体の震えが増して声が出せない。
「あんた今死んだらあかんで!!ええなこのボケ!!絶対死んだらあかんで!!まだあんたに言いたいことあんねんで!!このアホ!!」
白い霧は深く柔らかく、死の恐怖を実感させない。
段々と遠ざかる右京の叫び声が必死に自分をこの世界に繋ぎとめようとしている。
それから幾つも浮かんでくる過去。
小さな手のぬくもり。
顔中傷だらけの強い目の男の子。
厚い手袋越しに叩かれた頬の痛み。
つぶらな瞳からボロボロと零れて行く涙。
「あかね」
その響きは声の高さを変えても、いつも同じ熱を持っていた。
そして差し出される温かい手。
私はそれを全部踏みにじって、このまま消えようとしているんだ。
失うのが怖いから手放すなんて本気で考えていた。
自分はなんて傲慢だったんだろう。
人はいつか必ず死ぬのに。
いつかは皆平等に全てを失うもなのに。
『失うのが怖いから』
自分を飲み込んで立ち止まらせるこの深い霧の様に、自分の本当の気持ちを隠してそこから出ようとしなかった。
ずっと差し出され続けて来た手を払って。
乱馬。
もう一度会いたい。
そう思った時、気力を振り絞ってあかねは両頬をバチリと叩いた。
痛い。
まだしっかりと痛い。
私はまだちゃんと生きてる。
そうして背負ったままのリュックを自分の腹の方へ持ってくると、震える手でそこからタオルを出し、出血でぬるりとする左足首の傷口に当てて暫く強く抑えた。
タオルの上からテーピングの全てを使い切って強めに足首を括る。
これで少しは動けるようになった。
あかねはリュックのホルダーに付けていた笛の存在を思い出し、それを首に掛けて吹いた。
「あかねちゃん!!生きてるんやな!?」
その音に反応した右京の叫びに返事をするようにもう一度笛を吹くと、あかねは必死で立ち上がり、滑落した斜面を両腕で確認しながら這うようにしながら登り始めた。
左足はほんの少し重心を掛けただけで激痛が走り、まともに使えない。
両腕の力と右足だけが頼りだ。
霧が相変わらず視界を遮断している為、木の根や枝を手探りで掴みながら、斜面に沿って這うように登る。
その分泥や小枝が腹ばいになった衣服について重みを増したが、それでも両腕と右足を使ってなんとか少しずつ這い上がる。
意識はあちらとこちらの境を彷徨うように遠のきかけたり戻ったりを繰り返していたが、身体だけはゆっくりと確実に動いていた。
絶対にもう一度生きて会わなくちゃいけない人が居る。
その一念で身体は必死に前に上に向かって這い上がろうとしていた。
どのくらいの時間、どこまで登ったのか、どこで意識を失ったのか覚えていない。
ただ自分の手首をしっかりと掴んだその懐かしい感触だけははっきりと焼き付いていた。
ふと目を開いたら見覚えのない簡素な白い天井で、目だけで辺りを探ったら、あかねを心配そうに覗き込むかすみの顔が見えた。
「あかねちゃん・・・分かる?」
小さく頷くと、かすみがナースコールをして看護師を呼ぶ。
その声で近くに居たらしい早雲となびきが、慌てたように仕切られたカーテンの中に入ってくる。
「あかね~っ!!」
縋りついて号泣する早雲の体重が重くて苦しい。
あかねの歪んだ表情を見てそれを察したなびきが、早雲をどかしてくれた。
「お父さん、とりあえず落ち着いて。あかねが窒息しちゃうわ」
「ああ、すまん・・・あかね~あかねぇぇぇ~!!」
それでも縋って泣きじゃくる早雲の姿を見て、カーテンを開いて入ろうとしていた看護師がにこりとした。
「意識、戻られましたね。今すぐ先生来ますから」
「お姉ちゃん・・・右京は?」
「無事よ。風邪だったみたいね。体力回復の為に別の病室で寝てるわ」
「そう・・・良かった」
そして自分たちを見つけ出したのが乱馬だった事も、かすみから聞かされた。
「あと乱馬くんの血、あなた輸血して貰ったのよ」
「え・・・」
「かなり失血してたみたいでね。あなたの血液珍しいでしょう。乱馬くんが同じで助かったわ」
「・・・そうなんだ・・・乱馬は?」
「東風先生と一緒にずっと廊下に居たわ。あなたが無事に回復するって聞いて今日は帰った」
「そっか・・・」
「きっとそのうち現れるわよ。その時にちゃんとお礼言いなさいね」
「・・・うん」
やっぱりあの手は乱馬だったんだ。
しっかりと両手首を握られた時に、一瞬戻った意識。
これはきっと乱馬の手だと思った。
温かさも感触も。
自分がそれを間違える訳がない。
そうして抱えられるようにしっかり抱き締められて、懐かしい汗の匂いがして。
そこから真っ暗に途切れている記憶。
いつも奇跡のように自分の窮地に現れてくれる乱馬。
けれどあかねはその考えを直ぐに掻き消した。
奇跡なんかじゃない。
目を閉じると自分の中を巡る血液が乱馬の物だと実感出来るような気がした。
「ねえ、お姉ちゃん」
「なあに?」
「私、生きてるんだね」
これもきっと奇跡なんかじゃない。
私はまだ生きたい。
そしてどうせ生きるなら、自分に正直に生きたい。
終わり。