たとえば二人、公園で④


 

 

すっかり早乙女乱馬の存在を忘れてドラマに集中している時だった。

 

 

私の座っているソファーの隣の隙間に早乙女乱馬が突然どかりと座った。

 

自分の夕飯を乗せたボードをテーブルに置くと、ソファーの中央に座ったのだ。

 

 

その拍子に深く沈んだシートのせいで、ソファーの上で膝を抱えていた私はそのまま早乙女乱馬の方へ滑った。

 

 

 

ペタリ。

 

 

 

横向きにピッタリと寄り添い合う状態になり、互いに固まる。

 

 

そしてそのまま空気が止まる。

 

 

 

「……き、昨日は覗き見で今日は甘えたかよ?お前そんなおれの事好」

 

「きな訳ないでしょ!あんたのせいで滑ったの!なんで同じソファー座るのよ!」

 

 

思いっきり肩をグーで殴ると「教師に暴力振るうんじゃねーよ!」と怒鳴り返された。

 

「おれはいつもここで食ってんだよ。邪魔なのはお前だ」

 

 

ああ言えばこう言う。

本当に腹立たしい。

 

最初は口は悪いけど良い人だと思ったのに。

 

ムウッとしながらも私はソファーの手摺りギリギリまで移動して距離を置いた。

 

 

それはそれで何だか不満げな顔をされる。

 

 

「相当嫌われたもんだな。おれはお前の恩人だっつーのに」

 

「……それは感謝してるけど、私の裸見た」

 

「不可抗力だろ!お前だっておれの裸」

 

「もー!思い出させないでっ!気持ち悪い!」

 

「おい!気持ち悪いって何だよ。勝手に見といてディスんな!しかも生き物にとっては大事な部分なんだぞ」

 

 

「あんた何の教科なの?」

 

 

「あんた呼びするな。一応お前の担任だ」

 

「……早乙女先生は何の教科なんですか?」

 

「それもそれで白々しいな」

 

「じゃあどうしろって言うのよ?」

 

「まあ、いいよそれで。おれは体育、保健体育」

 

 

なるほど。

 

どおりで大事な部分と生真面目に言う訳だ。

 

というか早乙女先生(嫌みも含めてこう呼ぼう)のせいでドラマの内容に集中出来ない。

 

 

せっかく毎週楽しみにしていたお話だったのに。

 

という事を冷静に考えた私は、そこから早乙女先生との会話を止めた。

 

ただ画面に集中する。

 

 

大人気の恋愛ドラマだ。

 

ドジで冴えない主人公の女の子はアパレルメーカーの新人で。

 

上司はイケメンだけど我が儘な俺様。

社内に元カノや現カノが居たりするチャラい人で、主人公はこの俺様上司に片想いをしている。

 

けれど上司は気がついていなくて、主人公はいつもドジを踏んでは叱られてばかり。

 

そんな主人公に想いを寄せる同僚の男の子が居て。

色んな場面で主人公を然り気無く助けてくれる。

 

 

今日もそんな風に同僚の男の子が助けてくれる場面が格好いいなとときめいて観ていた。

 

 

「……女ってこういう恋愛もの好きだよなぁ。何が面白いんだ?」

 

「そんな事ばっか言ってると女子生徒に嫌われますよ先生。これ今女子に人気のドラマです」

 

 

妙に丁寧な敬語が居心地悪かったのか、顔をしかめて先生が私を見る。

 

 

「女子生徒に媚びなくても、もう充分人気あるしな」

 

「みたいですね。何でそんなに人気あるんだろう?」

 

「さあな。年上の男に憧れる年代なんじゃねえのか。あとおれイケメンだしスポーツ万能だし」

 

「自分でイケメンとか言います?」

 

 

呆れて聞き返しているのに、全然気にする様子もなく先生は得意気だ。

 

 

 

「それに格闘も強いからな」

 

「え……先生格闘やってるの?」

 

「おう。昔から親父に習ってたしそれなりに修行もしてきたんだぜ」

 

「……あの流派は?」

 

「無差別格闘流」

 

「え……無差別格闘流!?」

 

 

驚いて思わず立ち上がった私に、先生は怯んだ。

 

 

「そ、そうだけど何だよ?」

 

「うちのお父さんも無差別格闘の流派の格闘家です……」

 

「え……あ……そうか。天道早雲さんの娘だもんな」

 

「うちのお父さん、知ってるんですか?」

 

「もちろん知ってるさ。親父とも知り合いだし。何でも昔馴染みの仲間らしい。何度か審判としておれの試合を審査してくれた事もある」

 

 

「……そうなんだ」

 

 

「東風先輩だって無差別格闘の流派だろ?おれは高校から先輩には世話になってたんだけど……天道は格闘技好きなのか?」

 

「……大好きです。小学生の頃までは私もやってました。中学に入って総合格闘の部がなかったから別の部活に入って辞めてしまったけど。総合格闘技の試合はチェックしてました」

 

「ならお前、おれのこと何で知らねえんだ?」

 

「え?」

 

「おれ一応、高校生日本チャンピオンだし、大学でも日本チャンピオンだったぞ。雑誌に取材もされてる」

 

「ええええ!?」

 

私は慌てて自室に戻ると本棚に置いた古い格闘雑誌のバックナンバーを辿る。

 

それを辿って行くと確かに、確かに早乙女乱馬が表紙の格闘雑誌があった。

 

バタバタとリビングに戻るとその表紙を先生に見せる。

 

 

「これ!これは先生だったの!?」

 

「そうだよ」

 

「私、高校チャンピオンの試合会場で見てました!凄かった!」

 

「お、おう。ありがとな」

 

 

まさかだった。

 

『早乙女乱馬』と聞いた時、確かに何処かで聞いたことがある名前だと思ってはいたのだけれど、その時ははっきり思い出せなかったのだ。

 

けれどあの高校生チャンピオン『早乙女乱馬』だと知って、私は一気に先生を見る目が変わった。

 

小学生の頃、審判として参加するお父さんに連れられていった大会だ。

 

早乙女乱馬は凄く強かった。

群を抜いて。

 

私はそのスピードと気弾の迫力、動きのしなやかさに夢中になり、強く憧れた。

 

 

 

「あの……これに……サイン」

 

「……あ……おお、別にいーけど」

 

 

先生は少し顔を赤くしていた。

私は興奮ですっかり顔が赤いかもしれない。

 

マジックを手に取るとさらさらと自分の表紙の所にサインをしてくれた。

 

「わぁ!ありがとうございま……?」

 

とまで言いかけて私は絶句する。

 

『迷子の子豚ちゃんへ』と書かれていたからだ。

 

 

「誰が迷子の子豚ちゃんよ!酷い!大事にしてた雑誌なのに!」

 

「何だよ、不満か」

 

「子豚じゃないし!」

 

「でも天道、よくおれにブーブー文句言ってんじゃねえか」

 

「ひどい!」

 

涙目になって怒る私を見て、先生がふっと柔らかく笑った。

 

そして頭をポンポンと撫でられる。

 

 

「やり過ぎた、ごめんな」

 

「……」

 

それでも私の怒りはおさまらない。

 

 

「天道は喜怒哀楽が素直で面白いな。最初からそう思ってた」

 

「……え?」

 

「お前には随分嫌われちまったけど、おれはお前と話すの嫌いじゃねえけどな」

 

「……」

 

「言っただろ。お前と話すの楽しかったって」

 

 

何だろう。

心の奥がじんわりと温かい。

 

そして素直に嬉しい。

 

 

「迷子の子豚ちゃん、まさかおれの生徒になるとはな」

 

まだ言うかと子豚の事についてはムカッとしたけれど、少し複雑そうな顔の先生が私の怒りを留めた。

 

何故かその目は切なさを含んでいたから。

 

 

「まあとにかく格闘にまだ興味があるなら天道。うちの学校には総合格闘の部があるぞ。おれが顧問だ。一度見学に来るか?」

 

 

さっきまでの子供じみた言い争いが嘘のように、私は素直に頷いていた。

 

 

 

 

終わり。