「真田くんて、あかねのお姉さん夫婦のカフェでバイトしてたのね~」
教室で皆でお弁当をひとしきり食べた後に、その中の一人が私に話題を振ってきた。
「うん、だから私も真田くんは会ったばかりで詳しくは知らないの」
「真田くんは住み込みなんでしょう?あかねは同居してるって事?」
「……や、真田くんは一人よ。私はお姉ちゃん夫妻の所で。う、うん、近くだから」
私はこういう類いの嘘を吐くのが本当に下手だと我ながら思う。
とはいえ私たち生徒二人と先生の三人がルームシェアしているだなんて言える訳がなかった。
問題になるに決まっているし、私と真之介くんが、先生に特別扱いされていると誤解されかねない。
そこで三人共同でこの事実を周囲に漏らさない為の会議をし、共通の嘘が出来た。
私はお姉ちゃん夫婦の家に居候。
真之介くんはカフェ上に一人で住込み。
先生がどこに住んでいるか私と真之介くんは「知らない」。
忘れっぽい真之介くんは、それを勉強ノートの表紙にメモろうとしていたが、それは私と先生で慌て止めた。
ノートに書かれたら嘘が台無しだ。
という訳で真之介くんがこの事を覚えているかどうかは不安だけれど、元から人と接触を持とうとしない質なので嘘を言う機会すらなさそうだから、意外と一番安全なのかもしれない。
むしろ気を付けなければならないのは私だ。
クラスの女子とは馴染み始めて今では普通に会話するようになっている。
そしてやっぱり女子は男子に比べて圧倒的に会話の数が多いから、そこに関しては余計な事を言わないように心掛けなければ。
「天道、C組の瀬戸がきみの事呼んでるぞ」
ふと見ると同じクラスの男子が入り口近くで私の方を見ている。
その向こうに知らない顔の男子が俯き加減に立っていた。
「瀬戸くん……サッカー部男子一番人気」
「もしかしてまた……」
「また告白!?連日じゃない」
「しっ、聞こえる」
「凄いなあ、あかね」
「まあ納得よね」
「うんうん」
はあ、と溜息が出る。
またそういう類いの話だろうか。
気が重いながらもその男子の方へ近寄って行くと、話がしたいと言われた。
分かりましたと答えて廊下に出たが、そこからクラスの男子が冷やかすように騒ぎだして廊下が賑やかになり、それが隣のクラスにも伝染し始める。
「また天道さん告られっぞ!」
「マジかよ、すげぇ」
「あかねちゃーん、かわいー!」
「くそ!ああいうのは遠くから眺めるのが至高なんだよ!」
「んなこと言ってお前勇気がねーだけだろ」
もう止めて、静かにしてよ。
私は唇を噛み締めながら呼び出した男の子の背中だけを眺めた。
この分だと教室近くでは話も出来なそうだ。
結局、階を変えて屋上に向かうドアの前まで連れて来られた。
くるりと振り返った男子は少し戸惑ったように私を見下ろして笑う。
「ごめんな、騒がせて」
返事が出来なかった。
黙って俯く。
「天道さん、好きな奴は居るの?」
「居ません」
「じゃあおれと付き合」
「生徒は教師の同伴なしで屋上に出るの禁止な、知ってるか天道?」
急に下から声がして私と男子はびくりと跳ねる。
ひとつ下の階段の踊場から、早乙女先生が上がってくるのが見えた。
「瀬戸、うちのクラスの生徒にこんなとこで何か用か?」
「や……野暮っすね先生、ここに二人で居るって事は……」
「なんだよ?デートか?モテるな天道」
先生はずかずかと私たちの間に入り込んできて顔を見比べる。
「違います!」
「昨日も別の男子から告られてたよな、お前。ありゃ野球部のエースだぞ。あっさりフリやがって」
「なななな、何で知ってるんですか!」
「だってお前、生徒どころか職員室まで評判だぞ。新しい転入生が連日男子に呼び出されてるって。今日は誰にって予想まで立てられてるぞ」
「……そんな……」
「で瀬戸、今日はお前か?こいつはサッカー部で女子に人気あるぞ。ま、おれ程じゃねーけど」
「先生の話いらねえっす。天道さん、好きな人居ないならおれと付き合ってくれないかな?」
告白を担任の前でされるって、どんな拷問なんだろう。
「ごめんなさい。お付き合い出来ません」
「わー、マジか、フラれた」
「おー、フラれたな瀬戸。わっはっは」
「何笑ってんすか先生。てか邪魔」
「お前こそ教師の前で堂々と告ってんじゃねーよ。告る暇あるならちったあ勉強しろ。ホレ、フラれた奴は潔く退散退散」
先生は瀬戸くんをしっしっと追い払うように手の甲を振る。
瀬戸くんはしかめっ面を先生に向けて、私に笑顔で手を振った。
ひきつりながらだけど、私も何とか笑顔を返して会釈する。
階段を降りて行く瀬戸くんが見えなくなった所で先生がフーッと長い溜め息を吐いた。
そうしてガチャリと屋上へのドアを開く。
「見てみるか?結構良い景色だぞ」
「でも生徒は……」
「教師同伴ならOKだ」
ああ、そうだった。
知らない人に呼び出されるのはやはり気を張り詰めるもので。
少し息を詰めていたから外の空気が吸いたくて私は頷いた。
「うわぁ、凄い」
屋上は思ったよりもずっと見晴らしの良い風景だった。
快晴の下遠くに高層ビルは見えたが、近辺にそれほどの高さのある建物がない。
そのおかげで吉祥寺と三鷹の町並みが見えた。
私はぐるぐると屋上を周りながらその眺めに夢中になる。
「ほらあそこ、見てみろよ」
先生が指差した先は森のように木々が鬱蒼と広範囲で繁っている。
「あそこがお前が投身自殺しかかった井の頭ーー」
「投身自殺じゃないです!ちょっと平均台にしたかっただけっ」
「あんなとこで、泳げないのに。自殺行為だろ」
先生はその時の事を思い出したのかくっくっくっと笑う。
ムウッと来たので言い返す。
「先生こそ、あんなとこであんなチャラい格好して何してたんですか?ナンパ?」
「ばっ、軟弱男扱いすんな。あれは教師に見られない為の変装だ」
「変装?何でわざわざ」
「教師も休みくらい自由に居たいだろ。町中歩いてりゃーすぐ生徒にぶつかるんだよ」
「やっぱりナンパじゃないですか。遊びたいんでしょう?」
「ナンパなんかするか!逆に逃げてんだ、こっちは」
不満げに顔をしかめた先生は何だか子どもっぽくて、笑いたくなってしまう。
「逃げる?って誰から?」
「だからおれモテるんだよ。生徒にな」
「 それ自分で言います?」
「嘘は吐けない質なんでな」
「……嘘吐き」
「まあ確かにそれは嘘だ。けど生徒にモテるのは本当だ」
確かにそれは嘘ではないんだろう。
私もその噂は聞いた。
「だからさ、中には休日でも追っかけてくる奴が居るんだよ。鬱陶しいから変装してんだ」
「それであんなチャラい格好を」
「チャラいチャラい言うなよ。実際チャラくはなかっただろ」
……どうかな。
「な、なんだよ?その目は。お前おれのことチャラいと思ってんのか」
その時、昼休み終了五分前のチャイムが鳴った。
結局その事には答えずに、私は急いで教室に戻った。