途方もなく白い世界は暗闇にいるのと同じかもしれない。
何が天で地か分からなくなり、何処からが生で何処からが死なのかの境も亡くなった様に一瞬思う。
そう一瞬だ。
次の瞬間にはそれを忘れて必死に吹き下ろしてくる風に向かって抵抗して歩く。
「あかね~っ!!」
大きく叫んだが風と雪に吸い込まれる様におれの声は遮断される。
「あかね!!返事しろあかね!!」
返事はない。
気配もない。
自然は柔らかく人を包んだと思えば次の瞬間には一瞬で全て飲み込んで消してしまう事も出来る。
そんな事は幼い頃から根無し草の様に自然の中で生きて来た自分に染みついている事だ。
ほんの一歩踏み出したらその先は抉られた谷底だった。
そんな風に自然にはごろりと危険が存在していて。
途方もない真っ白な世界は暗闇の様だ。
けどおれには絶対に見える筈だ。
「あかねぇ~!!」
自分の声をかき消し威嚇する様に轟轟と鳴る風に上等じゃねえかといきり立つ。
途方もない白い世界を切り裂いて進む。
あかねがコースを外れて迷ったかもしれないと聞いたのはロッジでゆかたちが一緒に滑っていた筈のあかねが戻って居ない事に気が付いた時だった。
その頃にはもう山の天気は変わり始めて細かい吹雪が霧の様になり始めていた。
上の方は完全に曇っていて見えない。
自室に戻りてきぱきと捜索の荷造りを終えてかんじきを手にした頃、同室のひろしと大介がやってきた。
ひろしはオイルライターを持って行けと投げてくれた。
何故持ってんだという理由はこの際訊かない。
大介はここのスキー場に子どもの頃から家族で来ていたらしく避難小屋があるのを知って居て、大体の場所を教えてくれた。
一時的に避難できるように様々な物が置いてはあるらしい。
「ひなちゃん先生が生徒全員外出禁止って言ってるからおれら囮になっとくわ」
「助かる」
「代わりに絶対あかね助けろよ」
「ったりめーだ!!おれを誰だと思ってんだ!」
「誰って、優柔不断で外道で」
「無駄にナルシストな早乙女乱馬」
「をい!お前らおれを何だと……!じゃねーよ!行ってくる!」
「おう!」
「おめえはいいから絶対あかね無事に連れて帰って来いよ」
「抜かせ!」
ガラガラと窓を開けて雨どいを伝って地面に着地する。
そのまま室内に居る生徒や先生たちの目に触れぬ様光を避けて走りだした。
あかねたちが滑っていたコースはそれ程傾斜のきつくない長い山間コースだった筈だ。
ただ長い分だけどこで外れたのかが分かり難い。
容赦なく降り積もる雪でとっくに形跡は消されている。
かんじきに履き替えたせいで速度は落ちた。
あいつは頑丈な女だけれど普通の女だ。
どこまで体力がもつだろうかと考えるともどかしさに暴れ出したくなる。
ただずっと何処かで。
誰かがおれに「落ち着け」と言っているような気がした。
きっと見える。きっと分かる。絶対に見つけられる。
だってあいつは半身だろ。
おれの。
何とか山間コースの中腹まで辿り着きマウンテンスキーに履き替えてコースらしき傾斜を外れて木の入り組んだ斜面を滑る。
外れて迷うとしたら下って行くに違いない。
叫んでいる声は自分でも出ているのか分からないくらい雪の中に沈む。
それともそれは自分の感覚が一つにまとまっているせいかもしれない。
冷たさも苦しさも痛みも感じない。
音も聞こえず妙に静かだ。
自分の呼吸の音すら聞こえない。
いつの間にか雪嵐は止み風も嘘の様に落ち着いた。
おれの視界の隅に雪とは違うカラフルな物が一瞬見えたのはその時だった。
それは雪に埋もれかかっているあかねのニット帽の先。
「あかねっ!!」
膝を突きそれを掘り起こす自分の手は急にがたがたと震え出した。
震える手で大きく突っ込んでかき分けてあかねを掘り出して引っ張り上げる。
出て来たあかねの顔は今まで見たことがない程に白く生気がなかった。
「おい!!あかね!!あかね!!」
懸命にあかねの顔のおうとつに張り付く雪を払ってその頬を擦った。
擦っただけでは足りなくて頬を強く擦る。身体を揺する。
恐ろしい程に冷たい頬がもどかしく懸命に息を吹きかける。
そのうち漸くぴくりと瞼が動いた。
「あかねっ!!」
薄っすらと目を開いたあかねがふっと小さく唇を緩めた。
「……奇跡、だ……」
そうしてまたすっと瞼を閉じてしまう。
「何が奇跡だ馬鹿っ!!起きやがれっ!!」
そのまま意識を落とさないでくれよ、怖えよ。
ちゃんと生きてる姿を見せてくれよ。
必死で揺さぶり両頬を擦る。
「あかねっ!」
ふざけんなよ!ちゃんと起きて息してくれよ!頼むから!
「おいっ!!起きろよ!!あかねっ!!」
揺すり続けていたらようやく再び目を開いたあかねはうつろな表情で。
何かを言おうと口を開いたようだが喉がひゅうと音を立てただけっだった。
そうして身体がガタガタと震え始めているのは自分ではなくあかねだと気づく。
とにかく生きてる。
ギリギリの状態でもちゃんと生きてる。
そう思ったら急に色々が込み上げてぎゅうっと抱き締めた。
生きてる……良かった……生きてる。
視界が霞んで見えなくなった。
それを懸命に拭ってとにかく次の行動を考える。
あかねを防寒用のナイロンシートでくるんで抱きかかえる。
方位磁石と地形を確認して、大介に教えて貰った避難所へ向かう。
吹雪が止んでくれたのは幸いだった。
少なくとも何とか地形は分かる。
ただそれが一瞬の間で次にはどうなっているのか分からないのが山だ。
避難所は小さな小屋だった。
なんとか力任せにドアを開いて中に入る。
避難小屋というだけあって毛布など防寒具や簡易的ではあるが一通りの物は揃っているし大きな暖炉もあった。
急いで薪の横にあった焚き付け用の小枝に預かったオイルライターで火をつけて、古新聞も引きちぎって暖炉の中に入れる。
空気を拭き入れてパチパチと火が音を立て舞い上がり始めたのを確認すると、とにかくあかねが濡れたままの状態である事を何とかしないとと思う。
一応防寒用のシートにはくるんできたが気休め程度の物だ。
見ればそのシートの隙間から見える顔は青白いまま唇まで白く見えて、小刻みに震え続けている。
最優先はあかねの体温の安定を図ることだ。
山小屋にあるのは毛布。
自分が背負ってきたマットにもなる寝袋。
リュックの中からバスタオルやタオルを引っ張り出す。
雪で濡れて冷え切ったあかねは髪を濡らしたまま震えている。
スキーウェアを脱がしても下に着ていた服までびしょ濡れだ。
もうもうと暖炉の火に勢いが増して頃に小さな薪からくべると小さな小屋は段々と温かさが増して来た。
出来るだけ近い場所に寝袋を敷き、覚悟を決める。
迷ってる暇はない。
あかねの服をどんどんと脱がしてゆく。
脱がした服は椅子やら棚の上に掛けてなるべく乾くように干した。
自分も濡れているから防寒具を脱いで上半身まで裸になる。
その防寒具の上にあかねを一旦寝かせて出来るだけバスタオルで全身の水分を拭きとった。
末端まで血液が行くように少し手先や足先を擦りながら拭く。
あかねは薄いタンクトップとパンツまでの姿になった。
悪い事をしている訳じゃないのに罪悪感は湧く。
ただ白い顔でガタガタと震えているあかねをこのままにしておく訳にはいかない。
あかねを万歳させて顔を逸らしながらタンクトップを脱がそうとしたが、寒いせいか固まっている腕を離すのに苦労して結局見てやるしかなかった。
出来るだけタオルで丁寧に揉み込むように身体を拭いてやってマットの代わりに敷いた寝袋の上に寝かせてやる毛布を掛けてやり自分の姿を見る。
一瞬悩んだがパンツだけ抑制の意味も込めて残して服を脱ぎ、同じ寝袋の上に寄り添い横になると、毛布に自分が包まり向かい合ってあかねを抱いた。
明らかにブラは濡れている。
やっぱりこれも外さないとダメかと思い、背中に手を回してホックを外した。
それを椅子に向かって投げると、氷の様に冷たいあかねの身体を包む。
顔立ちは綺麗なままいつもより青白い頬が切なかった。
おれより華奢で小さくて簡単におれの腕や胸に収まってしまう身体。
そのどの部分も冷たくて白い。
あかねの脚に絡むように両脚を開いて挟む。
小さな拳を開かせてその指に自分の指を絡ませた。
細々とした指先まで出来るだけ優しく揉んでやる。
時々薪を投げながら出来るだけ集中して気熱を出す。
そうしてそれをあかねの身体にそっと流し込むことをイメージする。
「あかね……」
無意識に出た名前にじんわりとする。
その名を呼ぶといつだって落ち着くんだ。
人の皮膚ではない様に冷たかった肌が少しずつ体温を取り戻して行くと、あかねの身体の震えも収まり、安らかな寝息が聞こえて来た。
暖炉の火も安定しているし、毛布の中は少し熱いくらいだ。
安堵感と気を調整して送った疲労感。
それからあかねの身体と隙間なく張り付いて抱き合っている事への幸福感と興奮がやってきた。
このままあかねと交わりたいと身体が反応している。
正直それに少しも罪悪感は感じなかった。
だってそうなんだから仕方ない。
この世界でただ一つの物を選べと言われたら、おれが選ぶのはこいつだ。
自分の命より尊いものが出来たのは初めてだった。
こいつと交わったら本当に気持ち良いんだろうな。
心底から湧き上がる欲求と心地良さ。
それを持て余したまま、じっとそのいつかを想像していた。
どのくらいの時間が経ったか分からない。
気づけばおれもうつらうつらとしていた。
がばりと大きくあかねが動いた気配がして目が開く。
ふと見れば上半身を起こして茫然としているあかねの姿があった。
暖炉の灯りであかねの綺麗な上半身が丸見えだ。
もちろん、ち、乳も。
ぷりんとした整った膨らみに思わず釘付けになり見惚れる。
さっきまであれがおれの胸に張り付いていたのかと思うと思わずごくりと喉が鳴る。
「……あかね、す、凄い眺めになってるけどいいのか……」
ずっと眺めて居たいがそういう訳にも行かず、ぼそりと言う。
そこであかねの動きが一瞬止まった。
「きゃあああああああああああああ!!」
つんざくような悲鳴を上げたあかねがおおきく腕を振り上げてすかっと空気を打っている。
どうやらおれにビンタをかますつもりだったらしいが、まだ感覚がおかしいのか空振りしたらしい。
そのままふら付いて思い切り床に向かって倒れそうになり、慌てておれの身体を下にして身体ごとキャッチする。
本気で倒れ込んで来た頭にごすっと胸を打たれて一瞬呼吸が詰まりうっとなる。
そこに手を付いたあかねは確かめるようにおれの上半身を触り、自分の状態を見て騒ぎ出した。
「いやっ!!何!?何で!?」
あかねが急に凶暴にどたばたと暴れ出してその拳が何発かおれに入る。
「ぃって!……おい!ば、ばかっ!やめろっ!おれはお前の命の恩人だぞ!!」
「お、恩人ならなんでこんなこと……!?」
「だからお、お前が、低体温症になってたからあっためてやってたんだろーが!!」
こんなに必死で助けてやったのにいきなり暴力振るわれて腹が立つ。
あかねらしいと言えばあかねらしいが。
「……え?」
「お前覚えてねえのか?昨日遭難したんだぞ。スキー中に」
ぽかんとしたまま沈黙するあかねに心配になる。
意識混濁してるのか。大丈夫かな。
「……あ」
きょろきょろと辺りを見回したあかねは何かを理解した様だ。
という事は多分、意識の方は大丈夫なんだろう。
それにしても……思いっきり上半身丸見えなんですけどあかねさん。
まじまじと見つめてしまって少し罪悪感が湧く。
「……あとお前裸で暴れてる分、み、見えてるぞ」
「いやあああああ!!」
あかねは悲鳴を上げて毛布に潜り込んだ。
頭まで潜り込んでぐすぐすという泣いているような音が聞こえてくる。
なんか色々ショックで泣いてるんだろう。
遭難した事もおれと裸で抱き合っていた事も。
それにしてもよ。
一応許嫁なんだぞ。
そんなに泣くほどショック受けるか?
そんなに嫌か?
必死で助けてやったのに。
釈然としないまま頭をがしがしと掻く。
それでもリュックの一番奥から引っ張り出したおれのセーターをあかねに向かって掛ける。
「とりあえず、それ着てろ」
そうして胡坐をかいたまま背を向ける。
自分はあかねの方を見ないぞという意思表示だ。
それでもあかねの動く気配はなく、ぐずぐずと鳴いている音が響く。
「泣くなよ……何もしてねえし、極力見ねえようにしてたから。安心しろ」
さっきは思いっきり見ちまったけどな。
正直、記憶に焼き付けようとしてた自分も居るし。
けどそんな事言ったらあかねを余計に怒らせるだけだろうから堂々と嘘を吐く。
大体、何もしていないのは本当だ。
「……だって」
「泣いたら脱水症状起こしちまうだろ」
一応水分は持ってきた。
落ち着いたら後で飲ませよう。
「……」
「あとそんな嫌がられると何か……色々傷つく」
本音が出た。正直愚痴だ。
あんな必死で助けてやったのに。
そんなにおれと裸で抱き合ってるのが嫌だったのか。
ちょっと落ち込んでいる自分も居る。
「……ごめんね、そういうんじゃなくて……」
分かってる。
気が付いたら急におれと裸で抱き合ってたんだからあかねにしたら驚くに決まってる。
「うん、分かってんだけど……」
それでも全身全霊を掛けた分だけ心が拗ねてしまっている。
ご褒美くれとは言わねえけど、せめて感謝の言葉のひとつくらい……。
何だか一気に疲労感が増して身体を重たく感じる。
ごそごそと服を着ているらしいあかねに嫌味みたいに溜息を吐いてしまった。
と、急におれの背中にフワフワしたセーターの感触とあかねの重みがぴったり張り付いた。
あかねがおれの背中に身体をピッタリ寄り添わせたのだ。
急にどきりと心臓が跳ねる。
「乱馬……ごめんね」
「……お前が雪に埋まりかかって倒れてるの見た時は、こっちが凍ったぞ」
落ち込んでた筈なのについ言葉が上ずる。
あかねの触れている所だけに神経が集中して背中が熱い。
「……うん」
神妙なあかねの返事にそわそわとしてくる。
振り返りたい。抱き締めたい。
「あの……もうそっち、向いてもいい?」
何だよおれ、もう少し怒れよ。
何お伺い立ててんだよ。
でも振り向きたい。抱き締めたい。
「いいよ」
ふわっと気持ちが浮いた。
のを必死で押さえながらゆっくり振り返ると両手を広げてみる。
あかねは素直におれの胸の中にぴったりと張り付いて身を置く。
それが嬉しくて思い切りぎゅうっと抱き締める。
そうしたら色々、昨日からの色々な感情が急に込み上げて来た。
「無事で……良かった……」
小さな肩に押し付けるように額を擦り付ける。
あかねだ。
あかねだ。
ちゃんと生きてる。
温かいあかねだ。
もしも一瞬でも何かを逃していたら。
そう思うとぞっとする。
「助けてくれて、ありがとう」
顔を上げてあかねを見る。
視界がぼやけてる。
本当だよ、ばか。
心配させやがって。
本気でムカつくんだよ。
けどちゃんと生きてた。
それならもうどうでもいい。
あかねの細い指先がおれの両頬に触れる。
衝動的にあかねを抱き寄せ唇に吸い付いていた。
抵抗もなく互いに唇を重ねる。
握りつぶしてしまえそうな程の頭を手で抱えて、夢中で小さな唇に何度も繰り返し触れ、吸い付きこじ開け密着した。
してもしてもし足りない。
それでもあかねの身体がまだ完全に回復していない事を思うと、名残惜しいが離れるしかない。
そう決めてようやく顔を離したら、切なく目を潤ませた顔をまともに見てしまい眩暈がした。
額に口づけてしっかりと抱き締める。
多幸感でぼんやりとした。
「お前さ」
「……ん」
「覚えてねえかもしんねえけど、助けに来たおれの顔見た時『奇跡だ』って言ったんだ」
「そうなの……?」
「うん」
「ごめんね、覚えてない」
「おれそれ聞いて、絶対お前の事助けて文句言ってやるんだって必死だった」
「聞くよ。どんな文句?」
「奇跡なんかじゃねえよ」
あかねの身体を剥がして真っ直ぐに見る。
綺麗な目の奥を見る。
お前はおれをまだ見くびってる。
奇跡なんかでおれがお前を見つけられると思うなよ。
「お前が幾千万の雪の粒の中のひとつでも、おれは必ずその中からお前を見つけるからな」
「……」
「おかしきゃ笑ってもいいけど、おれは本気だから」
「……おかしくなんかない」
真っ直ぐにおれを見つめているあかねは少しも瞬きをせずに返事をした。
疑っていたっていい。
この返事が嘘だっていい。
一生かけて証明してやるさ。
自分よりも尊いと思える命が初めて出来た。
それが自分の何よりの弱点になった。
同時にそれを守る為ならどんな事でもしようと思うようになった。
幾千万、どこにまぎれていたっておれは見つける。
終わり
・あとがき・
一万ヒットしたらと宣言して遅刻してしまいましたが何とか宣言通りに乱馬視点が書けましたw
この裸で抱き合う場面て鉄板ネタではあるけれど、花男、ベルセルク、昔のドラマなどなど。
一番古い記憶はかすかにある昔の漫画アルペンローゼだったかと思います。あるいはその人の別の少女漫画だったかな。
乱馬のおれの半身という言葉もまた色々な物から影響を受けてます。charaの歌であり、名作ヘドヴィグ・アンド・アングリーインチなどの歌に出てくる思想であったり。半身、欠片、もう片方。
一之瀬けい子さんの乱馬がよくあかねをおれの半身と表現しますが、一之瀬さん乱馬の好きな所の一つでもあります。
いつも楽しみに読んで下さっている皆さんに感謝を込めて。
一緒に楽しんでくれてありがとうございます。
つ、次は5万?それまで居たらだけどwそこまでこのサイトあればだけどw
またその時考えますw